別子銅山(住友別子鉱山鉄道)・上部鉄道跡
愛媛県新居浜市、別子銅山の鉱石輸送や、昭和に入ってからは旅客輸送を担った鉄道で、明治26年2月に下部鉄道が、8月に上部鉄道が開通。日本初の山岳鉱山鉄道ですが、とくに上部鉄道は、等高線に沿って最小半径15.24mの急カーブ…
愛媛県新居浜市、別子銅山の鉱石輸送や、昭和に入ってからは旅客輸送を担った鉄道で、明治26年2月に下部鉄道が、8月に上部鉄道が開通。日本初の山岳鉱山鉄道ですが、とくに上部鉄道は、等高線に沿って最小半径15.24mの急カーブ…
愛媛県新居浜市の山根公園に隣接する別子銅山と住友(泉屋)の歴史を解説するミュージアムが別子銅山記念館。元禄4年(1691年)の開坑から昭和48年の閉山まで一貫して単一企業体の住友(泉屋)が経営した、世界でも例のない銅山が…
愛媛県新居浜市立川町、足谷川右岸の急峻な傾斜地に築かれたレンガ造りの発電所の跡が旧端出場水力発電所(きゅうはでばすいりょくはつでんしょ)。四阪島製錬所、別子銅山の坑内列車、社宅などへの電力供給を目的に明治45年に完成した…
四国では登山人気の高い西赤石山(1625.8m)の西肩、標高1294mにある峠が銅山越(どうざんごえ/愛媛県新居浜市)。峠の南側は日本の近代化を支えた別子銅山の間符(まぶ)と呼ばれる坑口が密集するエリアで、元禄15年(1…
愛媛県新居浜市にある日本の近代化にも大きく寄与した別子銅山(べっしどうざん)最初の坑道が歓喜坑・歓東坑。元禄3年(1690年)、鉱夫・切場長兵衛から足谷山(別子)に有望な露頭のあることを教えられた泉屋(住友)支配人の田向…
愛媛県新居浜市を流れる国領川水系小女郎川に架かる橋が遠登志橋(おとしばし)。明治38年、別子鉱山の東平(とうなる)地区への生活道として築かれた橋長48m(支間長37m)の鋼製スパンドレルブレースト単アーチ橋で、現存する日…
愛媛県新居浜市の別子銅山(べっしどうざん)の跡、「東洋のマチュピチュ」と呼ばれるマイントピア別子東平ゾーンにあり、最盛期の東平の鉱山、社宅、学校などをジオラマ、地形模型、写真などで解説するミュージアムが東平歴史資料館(と…
愛媛県新居浜市で別子銅山の採鉱本部跡のあった東平(とうなる)一帯が、マイントピア別子東平ゾーン。採鉱本部跡、貯鉱庫跡などが山中に残り、その雰囲気から東洋のマチュピチュとも呼ばれています。大正5年から昭和5年までの間、別子…