鹿児島県三大古墳とは!?
鹿児島県はヤマト王権の影響を受けた日本最南のエリア。とくに志布志湾沿いには21基もの前方後円墳が築造されています。県下最大の古墳は、東串良町の唐仁大塚古墳、さらに大崎町の横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)、肝付町の日本最南の前方…
鹿児島県はヤマト王権の影響を受けた日本最南のエリア。とくに志布志湾沿いには21基もの前方後円墳が築造されています。県下最大の古墳は、東串良町の唐仁大塚古墳、さらに大崎町の横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)、肝付町の日本最南の前方…
唐仁古墳群(とうじんこふんぐん)は「古墳の町」と呼ばれる鹿児島県肝属郡東串良町(ひがしくしらちょう)にある日本南端の畿内型(ヤマト王権との密接な関係のあった首長)の大古墳群。唐仁、小新地、大塚、大塚原地区に137基の古墳…
ヤマト王権のあった畿内から遠く離れた九州。朝鮮半島と独自の交流ルートを有した九州の大首長は、巨大古墳を見る限りは日向灘、大隅半島など畿内との連絡が容易な太平洋沿岸に集中することが判明。注目はその歴史的変遷で、日向灘(現・…