九州の古墳 ベスト5

九州の巨大古墳

ヤマト王権のあった畿内から遠く離れた九州。朝鮮半島と独自の交流ルートを有した九州の大首長は、巨大古墳を見る限りは日向灘、大隅半島など畿内との連絡が容易な太平洋沿岸に集中することが判明。注目はその歴史的変遷で、日向灘(現・宮崎市)→大隅半島→西都原→大隅半島→北部九州(現・八女市)という権力の移行がわかります。

1位 男狭穂塚(西都原古墳群)

形式:帆立貝形古墳
墳丘長:176m
場所:宮崎県西都市/西都原古墳群
築造の時代:5世紀前半中頃
史跡指定:宮内庁の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の陵墓参考地

男狭穂塚(西都原古墳群)

西都原古墳群の一部、男狭穂塚(おさほづか)は、墳丘長176m、後円部直径132m、後円部高さ18mで、日本最大の帆立貝形古墳。宮内庁により、天孫降臨伝説で天照大神の命により、葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治するため高天原から地上に降り

1位 女狭穂塚(西都原古墳群)

形式:前方後円墳
墳丘長:176m
場所:宮崎県西都市/西都原古墳群
築造の時代:5世紀前半中頃
史跡指定:宮内庁の木花開耶姫(このはなさくやひめ)陵墓参考地

女狭穂塚(西都原古墳群)

西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)にある女狭穂塚(めさほづか)は、全長176m、後円部直径96m、後円部高さ15mで、九州では最大の前方後円墳。宮内庁は、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の陵墓参考地に治定しています。近くの男狭穂塚(おさほ

3位 唐仁大塚古墳

形式:前方後円墳
墳丘長:140m
場所:鹿児島県東串良町/唐仁古墳群
築造の時代:4世紀末(古墳時代中期初頭)頃
史跡指定:国の史跡(唐仁古墳群)

唐仁大塚古墳

唐仁大塚古墳

鹿児島県東串良町(ひがしくしらちょう)にある、墳丘長140mという九州第3位の巨大な前方後円墳が唐仁大塚古墳(とうじんおおつかこふん)。130基の古墳で構成される唐仁古墳群(国の史跡)の主墳(1号墳)にもなっています。大隅半島、志布志湾に臨

4位 生目三号墳(生目古墳群)

形式:前方後円墳
墳丘長:137m
場所:宮崎県宮崎市/生目古墳群史跡公園
築造の時代:4世紀中頃(古墳時代前期)
史跡指定:国の史跡(生目古墳群)

生目三号墳

生目三号墳(生目古墳群)

宮崎県宮崎市の大淀川右岸の台地上にある生目古墳群(いきめこふんぐん)最大の古墳が生目三号墳。墳長137mの前方後円墳で、宮崎県でも西都原古墳群の女狭穂塚古墳、男狭穂塚古墳に次いで3番目の大きさ。生目古墳群は、古墳時代前期から中期にかけての九

5位 岩戸山古墳

形式:前方後円墳
墳丘長:135m
場所:福岡県八女市/八女古墳群
築造の時代:6世紀前半(古墳時代後期)
史跡指定:国の史跡(八女古墳群)/筑紫君磐井(つくしのきみいわい)の墓

岩戸山古墳

岩戸山古墳

福岡県八女市にある八女古墳群を構成する岩戸山古墳は、北部九州最大の前方後円墳。6世紀前半(古墳時代後期)の築造。5世紀から6世紀にかけての古墳群が多い八女丘陵(八女古墳群/国の史跡)のなかでも、墳丘長135m、後円部径約60m、円方部幅92

次点 横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)

形式:前方後円墳
墳丘長:128m(墳丘長136mとも=計測によっては5位の可能性も)
場所:鹿児島県大崎町
築造の時代:5世紀中葉〜5世紀後半(古墳時代中期)
史跡指定:国の史跡/埴輪を有する前方後円墳としては日本最南

横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)

横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)

鹿児島県大崎町横瀬にある墳丘長128mの巨大な前方後円墳が横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)。志布志湾の海岸線より1kmほど内陸に入った標高7mの水田の中に位置しています。鹿児島県では唐仁大塚古墳(東串良町)に次ぐ2番目に大きい前方後円墳(国の史跡

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