東日本の古墳 ベスト10

東日本の古墳 ベスト10

日本最大の古墳は大仙古墳(仁徳天皇陵)で墳丘長486m。東日本で最大の古墳は群馬県太田市の天神山古墳で210m。全国レベルだと26位と、巨大古墳は西日本に多いことがわかります。それでも東日本のベスト10を見てみると、ヤマト王権と東日本の首長との関係がおぼろげながら見えてくるのです。

1位 天神山古墳(太田天神山古墳)

墳丘長:210m
場所:群馬県太田市
築造の時代:5世紀中頃
史跡指定:国の史跡

天神山古墳

群馬県太田市には1605基の古墳がありましたが(群馬県でも最大数/現存は178基)、古墳時代、平坦部に、東海系の土器を使用する人々が移住したことが判明しています。天神山古墳(太田天神山古墳)は、東武伊勢崎線太田駅東方約12kmの市街地に隣接

2位 舟塚山古墳

墳丘長:186m
場所:茨城県石岡市
築造の時代:5世紀後半
史跡指定:国の史跡

舟塚山古墳

霞ヶ浦の湖畔、恋瀬川河口近くにある墳丘長186mの前方後円墳が舟塚山古墳で、国の史跡。茨城県最大、東日本でも天神山古墳(群馬県太田市/墳丘長210m)に次ぐ規模を誇る巨大な古墳です。5世紀後半の築造で、被葬者は初代茨城国造(いばらきのくにの

3位 浅間山古墳

墳丘長:171.5m
場所:群馬県高崎市
築造の時代:4世紀末から5世紀初頭
史跡指定:国の史跡

浅間山古墳

浅間山古墳

群馬県高崎市倉賀野町にある前方後円墳の浅間山古墳(せんげんやまこふん)は、墳丘長171.5mという巨大な古墳。東日本では天神山古墳(群馬県太田市/墳丘長210m)、舟塚山古墳(茨城県石岡市/墳丘長182m)に次ぐ巨大な古墳。4世紀末から5世

4位 別所茶臼山古墳(円福寺茶臼山古墳)

墳丘長:164.5m
場所:群馬県太田市
築造の時代:5世紀前半
史跡指定:国の史跡

別所茶臼山古墳(円福寺茶臼山古墳)

別所茶臼山古墳(円福寺茶臼山古墳)

巨大古墳をはじめ古墳の密集地帯である群馬県太田市にあるのが別所茶臼山古墳(国の史跡名称は円福寺茶臼山古墳)。太田市には東日本最大(全国26位)の太田天神山古墳がありますが、別所茶臼山古墳も墳丘長164.5m(168m)で、東日本4位という巨

5位 白石稲荷山古墳

墳丘長:155m
場所:群馬県藤岡市
築造の時代:5世紀初頭
史跡指定:国の史跡

白石稲荷山古墳

白石稲荷山古墳

群馬県藤岡市にある墳丘長155mほどの巨大な前方後円墳が白石稲荷山古墳。墳丘長155mは、東日本で5番目の巨大古墳で、国の史跡。発掘調査から葺石で覆われ、円筒埴輪と朝顔形円筒埴輪などが並んでいたと推測されています。七輿山古墳などとともに毛野

6位 梵天山古墳

墳丘長:151m
場所:茨城県常陸太田市
築造の時代:古墳時代初期または前期(諸説あり定かでありません)
史跡指定:茨城県の史跡(梵天山古墳群)

梵天山古墳

梵天山古墳

茨城県常陸太田市にある梵天山古墳群(ぼんてんやまこふんぐん)の中心となる古墳が梵天山古墳。墳丘長151mは、舟塚山古墳(墳丘長186m/石岡市)に次いで茨城県内第2位、東日本全体でも6位という巨大な古墳で、古代に久慈川流域を支配した首長の墓

7位 七輿山古墳

墳丘長:145m
場所:群馬県藤岡市
築造の時代:6世紀前半
史跡指定:国の史跡

七輿山古墳

七輿山古墳

群馬県藤岡市にある古墳時代中期、6世紀前半の築造と推定される巨大な前方後円墳が七輿山古墳(ななこしやまこふん)。墳丘長145m、東日本で6番目の巨大古墳(全国73位)で、6世紀代の古墳としては東日本最大級のもので、国の史跡になっています。高

8位 内裏塚古墳

墳丘長:144m
場所:千葉県富津市
築造の時代:5世紀半ば
史跡指定:国の史跡

内裏塚古墳

千葉県富津市にある墳丘長144mの前方後円墳で千葉県最大の古墳。関東地方でも第8位、千葉県内や房総半島、東京湾周辺では最大規模を誇る巨大古墳となっています。前方後円墳11基、方墳7基、円墳29基が確認されている内裏塚古墳群の中心的な墳墓です

9位 葦間山古墳

墳丘長:141m
場所:茨城県筑西市
築造の時代:発掘調査がないため特定できず
史跡指定:筑西市の史跡

葦間山古墳

葦間山古墳

茨城県筑西市(ちくせいし)にある墳丘長141mと推定される巨大な前方後円墳が葦間山古墳(あしまやまこふん)。前方部の一部は畑地となり、原型を失っているため正確な規模はわかりませんが、141mとすれば茨城県では舟塚山古墳(石岡市)、梵天山古墳

10位 二子山古墳

墳丘長:132.2m
場所:埼玉県行田市
築造の時代:6世紀初頭
史跡指定:国の史跡(埼玉古墳群)

二子山古墳

埼玉県行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の中央、稲荷山古墳の南に位置する前方後円墳が二子山古墳。前方部と後円部という2つの山が連結したような形状が名の由来で、墳丘長132.2mは、古代の武蔵国(むさしのくに)では最大、東日本でも第

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