愛宕山古墳

愛宕山古墳

茨城県水戸市愛宕町、那珂川の西岸、国の史跡に指定される古墳が、愛宕山古墳(あたごやまこふん)。墳丘長136.5m、茨城県では現存第3位となる大型の前方後円墳で、那珂川流域では最大規模を誇っています。5世紀前半の築造、仲国(なかのくに=常陸国東部、那珂とも)の首長墓だと推測されています。

一帯が、古代・仲国(なかのくに)の中心だった!

愛宕山古墳

茨城県内では石岡市の舟塚山古墳(墳丘長186m)、常陸太田市の梵天山古墳(151m)、筑西市の葦間山古墳(あしまやまこふん/推定復元141m、現存90m)に次ぐ大きさですが、葦間山古墳が大きく改変しているため、現存では県内3位となる巨大古墳です。

後円墳頂とその裾から大形の円筒埴輪が発見されたことから、墳丘のテラスには3列~4列の埴輪列があったことが推測されており、ヤマト王権との関連性もうかがうことができます。

後円部の墳丘上には、天慶元年(938年)創建、天正8年(1580年)、佐竹義宣が現在地に移したと伝えられる火防(ひぶせ)で名高い愛宕神社が鎮座し(南東の水戸城を守護)、古墳の名の由来となっています。
前方部の墳丘上には天満宮の祠もあります。

崇神天皇時代、東の国の荒ぶる賊を制定に派遣され、仲国造(なかのくにのみやつこ)の初代ともいわれる(先代旧事本紀『国造本紀』仲国造条)、建借馬命(たけかしまのみこと)の墳墓という伝承があります(その後裔という説もあり定かでありません)。
『常陸国風土記』によれば、建借馬命は、国栖 ( くず ) の首領・夜尺斯 ( やさかし )と夜筑斯(やつくし)を討伐するため軍船を率いて霞ヶ浦に入り、「尽に種属を囚へ、一時に焚き滅しき」、現在の水戸市飯富付近(建借馬命を祭神とする大井神社が鎮座)を拠点に開拓したとされ、一帯が古代に政治的な中心地だったことがわかります。

前方部に並んで墳丘長58mの前方後円墳(姫塚古墳)があり、建借馬命の后(きさき)の墳墓だと伝わっていますが、宅地開発で消滅しています。
以前には周辺には多くの円墳もありましたが、いずれも都市開発で削平され、馬塚古墳を除いて消滅しています。

愛宕山古墳
後円部の墳丘上にある愛宕神社
愛宕山古墳
名称 愛宕山古墳/あたごやまこふん
所在地 水戸市愛宕町2132
関連HP 水戸観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR水戸駅から茨城交通バスで20分、袴塚二丁目下車、徒歩5分
ドライブで 常磐自動車道水戸北スマートICから約5km
駐車場 愛宕神社参拝者駐車場
問い合わせ 水戸市役所歴史文化財課 TEL:029-306-8132
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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