宮崎県三大古墳とは!?

宮崎県三大古墳

天孫降臨伝説の残される宮崎県。西都市にある西都原古墳群は、その伝承に関わる古墳ともいわれ、宮崎県1位、2位の巨大古墳である男狭穂塚、女狭穂塚は宮内庁の陵墓参考地になっています。第3位は宮崎市の生目三号墳(生目古墳群)で、いずれも南九州に君臨した盟主的な首長の墓です。

男狭穂塚(西都原古墳群)|西都市

形式:帆立貝形古墳
墳丘長:176m/九州最大の古墳
所在地:宮崎県西都市三宅/西都原古墳群
築造の時代:5世紀前半中頃
被葬者:ヤマト王権と密接なつながりのある南九州の盟主の墓
史跡指定:宮内庁の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の陵墓参考地
日本遺産「南国宮崎の古墳景観 -古代人のモニュメント-」の構成資産

男狭穂塚(西都原古墳群)

西都原古墳群の一部、男狭穂塚(おさほづか)は、墳丘長176m、後円部直径132m、後円部高さ18mの帆立貝形古墳で、九州最大の古墳。宮内庁により、天孫降臨伝説で天照大神の命により、葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治するため高天原から地上

女狭穂塚(西都原古墳群)|西都市

形式:前方後円墳
墳丘長:176m/九州では最大の前方後円墳
所在地:宮崎県西都市三宅/西都原古墳群
築造の時代:5世紀前半中頃
被葬者:ヤマト王権と密接なつながりのある南九州の盟主の墓
史跡指定:宮内庁の木花開耶姫(このはなさくやひめ)陵墓参考地
日本遺産「南国宮崎の古墳景観 -古代人のモニュメント-」の構成資産

女狭穂塚(西都原古墳群)

西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)にある女狭穂塚(めさほづか)は、全長176m、後円部直径96m、後円部高さ15mで、九州では最大の前方後円墳。宮内庁は、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の陵墓参考地に治定しています。近くの男狭穂塚(おさほ

生目三号墳(生目古墳群)|宮崎市

形式:前方後円墳
墳丘長:137m/墳丘に立ち入ることができる古墳としては九州で最大の前方後円墳
所在地:宮崎県宮崎市/生目古墳群史跡公園
築造の時代:4世紀中頃(古墳時代前期)
被葬者:ヤマト王権(畿内)と密接な関係を保有した南九州の盟主的な首長
史跡指定:国の史跡(生目古墳群)
日本遺産「南国宮崎の古墳景観 -古代人のモニュメント-」の構成資産

生目三号墳

生目三号墳(生目古墳群)

宮崎県宮崎市の大淀川右岸の台地上にある生目古墳群(いきめこふんぐん)最大の古墳が生目三号墳。墳長137mの前方後円墳で、宮崎県でも西都原古墳群の女狭穂塚古墳、男狭穂塚古墳に次いで3番目の大きさ。生目古墳群は、古墳時代前期から中期にかけての九

宮崎県三大古墳とは!?
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九州の古墳 ベスト5

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