大分県三大古墳とは!?

大分県三大古墳

大分県の古墳時代は、豊後海峡を支配し、瀬戸内海へと乗り出した海の民が繁栄した時代。海運技術に秀でた民を支配する首長をヤマト王権が見逃すはずもなく、王権と密なる関係を築いた首長墓が、杵築市の小熊山古墳、大分市の亀塚古墳、築山古墳で、以上が大分県の三大古墳です。

小熊山古墳|杵築市

形式:前方後円墳
墳丘長:116.5m
所在地:大分県杵築市狩宿
築造の時代:3世紀後半〜4世紀初頭(古墳時代前期前半)
被葬者:ヤマト王権とも密接な関係があった国東半島の盟主
史跡指定:国の史跡

小熊山古墳

小熊山古墳

大分県杵築市狩宿、国東半島南端の海岸線から少し入った大熊山に続く尾根に築かれた大分県最大となる巨大な古墳が、小熊山古墳。墳長116.5mの前方後円墳で、古墳時代前期前半(3世紀後半〜4世紀初頭)の築造。九州では最古級の円筒埴輪が出土し、ヤマ

亀塚古墳|大分市

形式:前方後円墳
墳丘長:116m
所在地:大分県大分市里646-1
築造の時代:4世紀末〜5世紀初頭(古墳時代前期終末〜古墳時代中期初頭)
被葬者:海部(あまべ)の民を支配した首長、海部王(あまべのきみ)の墓とも
史跡指定:国の史跡

亀塚古墳公園

亀塚古墳公園

大分県大分市、丹生川左岸、丹生台地の東端に位置する墳丘長116mの前方後円墳が、亀塚古墳。4世紀末〜5世紀初頭の築造と推定される前方後円墳で、大分県で小熊山古墳(墳丘長116.5m)に次ぐ大きさを誇り、国の史跡にも指定。現在一帯は亀塚古墳公

築山古墳|大分市

形式:前方後円墳
墳丘長:90m
所在地:大分県大分市本神崎992
築造の時代:5世紀中頃(古墳時代中期)
被葬者:ヤマト王権と交流のあった女性首長
史跡指定:国の史跡

築山古墳(大分市)

築山古墳(大分市)

大分県大分市、佐賀関半島の付け根に位置する古墳が、築山古墳(つきやまこふん)。墳丘長90mという前方後円墳で、大分県内第3位となる巨大古墳です(国の史跡)。豊後水道を支配した海部民(あまべのたみ)が暮らした土地で、卓越した海洋技術を背景に、

大分県三大古墳とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
九州の巨大古墳

九州の古墳 ベスト5

ヤマト王権のあった畿内から遠く離れた九州。朝鮮半島と独自の交流ルートを有した九州の大首長は、巨大古墳を見る限りは日向灘、大隅半島など畿内との連絡が容易な太平洋沿岸に集中することが判明。注目はその歴史的変遷で、日向灘(現・宮崎市)→大隅半島→

宮崎県三大古墳

宮崎県三大古墳とは!?

天孫降臨伝説の残される宮崎県。西都市にある西都原古墳群は、その伝承に関わる古墳ともいわれ、宮崎県1位、2位の巨大古墳である男狭穂塚、女狭穂塚は宮内庁の陵墓参考地になっています。第3位は宮崎市の生目三号墳(生目古墳群)で、いずれも南九州に君臨

佐賀県三大古墳

佐賀県三大古墳とは!?

日本最古の水田の跡のある菜畑遺跡、そして吉野ヶ里遺跡など、古代には大陸との交流の窓口でもあった佐賀県。有明海に臨む佐賀市(佐賀平野)の船塚古墳、銚子塚古墳が1位と3位、間に入ったのが、唐津市の唐津湾に流れ出る松浦川河口部に築かれた久里双水古

鹿児島県三大古墳

鹿児島県三大古墳とは!?

鹿児島県はヤマト王権の影響を受けた日本最南のエリア。とくに志布志湾沿いには21基もの前方後円墳が築造されています。県下最大の古墳は、東串良町の唐仁大塚古墳、さらに大崎町の横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)、肝付町の日本最南の前方後円墳、塚崎51号墳

熊本県三大古墳

熊本県三大古墳とは!?

熊本県の古墳時代は有明海に面した平野部だけでなく、阿蘇谷にも巨大な古墳が築かれています。これは阿蘇谷に豊富な資源があり、古代の工場があったから。氷川町の大野窟古墳、阿蘇市の長目塚古墳、山鹿市の岩原双子塚古墳が現存する熊本県三大古墳です。大野

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ