【地図を旅する】vol.48 和歌山県北山村は、なぜ村ごと飛び地に!?

河川の蛇行するルートの変化などが原因で、川の向こうが飛び地となっている自治体は全国に数あります。全国の市町村レベル(市区町村をまたぐもの)としては144ヶ所もの飛び地が確認されています。そんななかで、自治体ごと飛び地になっているのが和歌山県北山村。なぜ飛び地が生じたのかのでしょう?

飛び地のヒントは、「北山川観光筏下り」に

【360°VRで体験する】北山川観光筏下り|北山村観光協会

北山村(きたやまむら)は、和歌山県東牟婁郡に属する村。
村の西側は奈良県に、東は三重県に接しており、和歌山県(新宮市)は少し離れた南西に位置しています。
和歌山県で唯一の村ですが、村全体が飛び地という日本で唯一という異色の自治体です。

深い谷を形成する北山川沿いに集落があり、耕地面積は乏しく、村の面積48平方キロメートルのうち、なんと97%が山林。

豊富な森林資源を活かし、もともと林業が盛んな土地で、切り出した木材は筏(いかだ)を組んで北山川を使って下流へと流したのです。

北山村名物の「北山川観光筏下り」はそんな歴史を今に伝える観光資源となっています。

実は、この筏下りには、北山村が飛び地となった「歴史的な秘密」が隠されています。
もともと北山村で伐採された森林資源は、河口の新宮へと流され、新宮が集積地となっていたのです。
新宮はもともと徳川御三家・紀州藩の領地。
北山川上流部の森林資源も紀州藩が保有していたのです(尾張徳川家・尾張藩が木曽の森林資源を保有していたことに似ています)。

廃藩置県で紀州藩が廃され、明治4年8月29日、和歌山県が誕生すると、現・北山村(当時は大沼村・下尾井村・小松村・竹原村・七色村)の村民は和歌山県に編入されることを強く望み、それがかなって飛び地として和歌山県入りが実現。
明治22年の市制町村制施行で、北山村が誕生、その後、三重県、奈良県に合併することなく現在まで単独、飛び地の村として生き残ってきたのです。

戦後はダム建設による道路整備などで、三重県との関係性も深まったため、越境合併する動きもありましたが、多くの住民は和歌山県であり続けることを選んだのです。
和歌山県新宮市との合併も、村民の多くは反対で、北山村はその独自の文化と観光資源、ジャバラなどの農業生産と加工を活かして生き残る作戦です。

【地図を旅する】vol.48 和歌山県北山村は、なぜ村ごと飛び地に!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日本で唯一の筏下り! 『北山川観光筏下り』始まる!|2026

周囲を三重県県に囲まれた全国唯一、飛び地の村が和歌山県東牟婁郡北山村。その北山村の名物が、日本で唯一という観光筏(いかだ)下りで、『北山川観光筏下り』が2026年も5月3日(日・祝)〜9月30日(水)に行なわれます。使われる筏も筏師がつくる

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。

よく読まれている記事

こちらもどうぞ