河川の蛇行するルートの変化などが原因で、川の向こうが飛び地となっている自治体は全国に数あります。全国の市町村レベル(市区町村をまたぐもの)としては144ヶ所もの飛び地が確認されています。そんななかで、自治体ごと飛び地になっているのが和歌山県北山村。なぜ飛び地が生じたのかのでしょう?
飛び地のヒントは、「北山川観光筏下り」に
北山村(きたやまむら)は、和歌山県東牟婁郡に属する村。
村の西側は奈良県に、東は三重県に接しており、和歌山県(新宮市)は少し離れた南西に位置しています。
和歌山県で唯一の村ですが、村全体が飛び地という日本で唯一という異色の自治体です。
深い谷を形成する北山川沿いに集落があり、耕地面積は乏しく、村の面積48平方キロメートルのうち、なんと97%が山林。
豊富な森林資源を活かし、もともと林業が盛んな土地で、切り出した木材は筏(いかだ)を組んで北山川を使って下流へと流したのです。
北山村名物の「北山川観光筏下り」はそんな歴史を今に伝える観光資源となっています。
実は、この筏下りには、北山村が飛び地となった「歴史的な秘密」が隠されています。
もともと北山村で伐採された森林資源は、河口の新宮へと流され、新宮が集積地となっていたのです。
新宮はもともと徳川御三家・紀州藩の領地。
北山川上流部の森林資源も紀州藩が保有していたのです(尾張徳川家・尾張藩が木曽の森林資源を保有していたことに似ています)。
廃藩置県で紀州藩が廃され、明治4年8月29日、和歌山県が誕生すると、現・北山村(当時は大沼村・下尾井村・小松村・竹原村・七色村)の村民は和歌山県に編入されることを強く望み、それがかなって飛び地として和歌山県入りが実現。
明治22年の市制町村制施行で、北山村が誕生、その後、三重県、奈良県に合併することなく現在まで単独、飛び地の村として生き残ってきたのです。
戦後はダム建設による道路整備などで、三重県との関係性も深まったため、越境合併する動きもありましたが、多くの住民は和歌山県であり続けることを選んだのです。
和歌山県新宮市との合併も、村民の多くは反対で、北山村はその独自の文化と観光資源、ジャバラなどの農業生産と加工を活かして生き残る作戦です。
| 【地図を旅する】vol.48 和歌山県北山村は、なぜ村ごと飛び地に!? | |
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