兵庫県尼崎市にあった近世城郭が、尼崎城。徳川家康の近習として仕えた戸田氏鉄(とだうじかね)が豊臣家滅亡(大坂の陣)後に尼崎藩を立藩し、築城した城です。複合式層塔型4重4階の天守がそびえ立っていましたが、現在も外観だけ復元した天守が尼崎城址公園内に建っています。
本丸に4重の天守がそびえ立っていた!

元和3年(1617年)、戸田氏鉄(うじかね)が5万石で尼崎藩を立藩、藩庁として築いたのが尼崎城です。
戸田氏鉄以降の藩主は、青山氏4代、桜井松平家7代といずれも譜代大名が続き、西への監視という役割があったと推測できます。
徳川家康は、大坂の陣の直後、元和元年(1615年)〜元和3年(1617年)、大坂(現・大阪)とその周辺から豊臣氏方の勢力を一掃していますが、その完成として畿内にいる外様勢力を他の地方へ転出させ、大坂城を取り囲む要衝に信頼できる人物を配置しているのです。
尼崎を領有する外様大名・建部政長(たけべまさなが)は、豊臣政権下では尼崎郡代。
大坂の陣では徳川方に与して尼崎藩1万石の大名となりましたが、配置換えで播磨国揖東郡林田へ移封されています。
尼崎城は西への備えということもあり、水堀が2重、3重に巡らされるという堅固な構造。
本丸(東西、南北とも115mの正方形)には4重の天守、3棟の三重櫓、そして本丸御殿が並んでいました。
外観を復元した現天守は西三之丸跡に建つ

本丸の天守は、明治初期まで現存しましたが、明治6年の廃城令以降、多くの建物が破却されています。
本丸跡は、現在、尼崎市立明城小学校の敷地と化していて、遺構はなにもありません。
実は尼崎城址公園として整備されるのは西三之丸の北半分で、往時の壮大な敷地からすれば、まさにごく一部です。
この尼崎城址公園に平成30年に完成したのが4層の模擬天守。
家電量販店・ミドリ電化の創業者・安保詮(あぼあきら)が10億円以上の私費を投入して建築、完成後に尼崎市に寄贈した建物で、外観と規模は幕末の天守を模しています。
ただし、往時の天守のあった場所に復元することができなかったので、北西に300mほど離れた尼崎城址公園(西三之丸跡)に建設されたのです。
つまり、外観は往時のままですが、建つ場所が異なることに留意して見学を、ということに。
遺構が少ない尼崎城にとっては、まさにシンボル的な存在となっていますが、場所の違いには注意が必要です。
| 確実に誤解を生む! まさかの天守閣(29)尼崎城|兵庫県 | |
| 名称 | 尼崎城/あまがさきじょう |
| 所在地 | 兵庫県尼崎市北城内27 |
| 電車・バスで | 阪神尼崎駅から徒歩5分 |
| ドライブで | 阪神高速3号神戸線尼崎東ICから約3km |
| 駐車場 | 18台/有料 |
| 問い合わせ | 尼崎城址公園管理事務所 TEL:06-6480-5646/FAX:06-6480-5746 |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 | |












