確実に誤解を生む! まさかの天守閣 全30城

戦後の市町村の復興、高度成長時代の観光開発などで、日本各地の城跡には数多くの天守風の建物が建てられています。コンクリート造りながらかつての天守の外観を復元したものもありますが、なかには史実を無視したもの、天守がなかった城に天守を建てたものなども存在。まさかの天守閣30城を紹介しましょう。

東北

1:久保田城|秋田県

所在地:秋田県秋田市千秋公園
まさかの理由:久保田藩(秋田藩)の藩庁ですが、もともとは天守どころか石垣もなかった城で、本来は御隅櫓(おすみやぐら)のあった場所に模擬天守を構築
秋田市は「史料に記されている2階造りを基本とした設計で、最上階には展望台が設けられています」と2階建ての望楼として再建したとしています
ただし外見上はどうみても4層(3重4階)なので、少し苦しい説明に

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(13)久保田城(秋田城)|秋田県

秋田県秋田市の千秋公園は、日本100名城にも選定される久保田城の城跡。関ヶ原の戦いで不戦を貫いた佐竹義宣(さたけよしのぶ)が常陸国から秋田国に転封となり、築城した城。久保田藩の藩庁となり、明治維新まで佐竹氏が藩主を務めています。その久保田城

2:横手城|秋田県

所在地:秋田県横手市城山町29-1
まさかの理由:元和の一国一城令でも奇跡的に破却を免れ、秋田藩の支城として存在した横手城
それだけに、立派な天守があったはずもありませんが、昭和40年、複合式望楼型3重4階、コンクリート造りの天守を建設
モデルとしたのは、なんと、昭和34年に天守が復興した岡崎城(愛知県岡崎市)で、しかも建っているのは本丸跡ではなく、二の丸跡

横手城

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(26)横手城|秋田県

横手やきそば、十文字中華そば、さらにいものこ汁、稲庭うどんなどのご当地グルメで知られる秋田県横手市。城下町の文化が色濃く残る横手市にあるのが横手城。現在は横手公園として整備される山城で、朝倉山に築かれているので朝倉城が正式名。山上には3重4

3:上山城|山形県

所在地:山形県上山市元城内3-7
まさかの理由:現在の天守は昭和57年に建設されたコンクリート造り、3層5階で望楼型
現地の案内板には、「本丸北東部には御三階櫓があった」と記され、この御三階櫓が天守もしくは代用天守だとほのめかしていますが、模擬天守である現在の天守が建つのは、なんと二の丸跡
場所も姿も現在の模擬天守とは異なります

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(23)上山城|山形県

江戸時代に上山藩(かみのやまはん)の藩庁が置かれたのが、山形県上山市にある上山城。戦国時代には伊達家と東北の覇権を争った最上氏の防御拠点ともなった城です。かみのやま温泉という観光地を有することから、上山城には望楼型3層5階の立派な天守閣がそ

関東

4:忍城|埼玉県

所在地:埼玉県行田市本丸
まさかの理由:藩政時代には空き地だった忍城本丸跡に復元したという天守(忍城御三階櫓)
形状的には『忍城鳥瞰図』や文献などを元にした外観復元ですが、本来の場所とは大違いなので注意が必要です

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(14)忍城|埼玉県

石田三成の水攻め、そして映画『のぼうの城』で知られる埼玉県行田市の忍城。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐に伴う攻城戦での水攻めにも耐え抜いた難攻不落の城です。藩政時代には忍藩の藩庁として機能しています。現在の天守風の建物は、昭

5:千葉城|千葉県

所在地:千葉県千葉市中央区亥鼻1-6-1
まさかの理由:中世の城で、近世(江戸時代)には城がなかったのにもかかわらず、「千葉市立郷土博物館」として近世的な天守(5階建ての天守風建物)を建設

千葉城

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(4)千葉城|千葉県

千葉県千葉市は、中世に桓武平氏の武士である千葉氏の領有する地で、その居城が千葉城ともっともらしい天守がそびえ立つのが、千葉城です。千葉県千葉市中央区亥鼻にある平山城の亥鼻城(いのはなじょう)、通称・千葉城には、千葉常胤(ちばつねたね)騎馬像

6:館山城|千葉県

所在地:千葉県館山市館山351-2
まさかの理由:館山城には天守があったという史実もなく、建物も犬山城をモデルにして歴史的な裏付けがない模擬天守を構築

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(1) 館山城|千葉県

全国各地に戦後建てられたコンクリート造りの天守閣があります。南房総・館山市、市街地の外れの山上にそびえる館山城は、実は、曲亭馬琴(きょくていばきん)の『南総里見八犬伝』をテーマにした博物館。見ごたえある展示ですが、実は建物自体は、犬山城を真

7:大多喜城|千葉県

所在地:千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481
まさかの理由:昭和50年に建てられた千葉県立総南博物館(現・千葉県立中央博物館大多喜城分館)
近世当時の正確な天守の絵図は存在しないため、あくまで平均的な江戸時代の「多分、こんな感じだろう」的な天守です

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(17)大多喜城|千葉県

江戸時代には大多喜藩の藩庁だったのが、千葉県夷隅郡大多喜町にある平山城の大多喜城。千葉県民は天守風の建物が大好きなようで、大多喜城にも立派な天守が建っています。大多喜城の天守は、天保13年(1842年)の火災で焼失したとされますが、天守は存

8:久留里城|千葉県

所在地:千葉県君津市久留里448
まさかの理由:江戸時代に久留里藩の藩庁だった久留里城、現在の天守は、昭和54年に完成した鉄筋コンクリート造りの建物
なぜか天守台ではなく、天守台横に建っていて、往時は2層2階だったのに対して、こちらは2層3階という不思議な設計に

久留里城

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(27)久留里城|千葉県

実は千葉県はまさかの天守閣(模擬天守)の宝庫です。そのひとつが千葉県君津市にある久留里城(くるりじょう)。戦国時代に里見義堯(さとみよしたか)が本拠とし、安房里見氏の最盛期を築き上げた城。江戸時代には3万石の小藩ながら久留里藩の藩庁となった

9:関宿城|千葉県

所在地:千葉県野田市関宿三軒家143-4
まさかの理由:現在の天守建物は千葉県立関宿城博物館として平成7年11月に開館
本丸の北西隅という本来の場所から500mほど離れたスーパー堤防上ですが、旧来の場所には建てることができませんでした
往時の姿を外観的には復元しているので、場所だけ大きく違うということに

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(24)関宿城|千葉県

徳川家康が関東に封じられた際、最初に行なった大土木事業が、利根川の流れを変える利根川東遷事業。江戸を舟運で栄える町とし、洪水を防止しようという壮大なプロジェクトですが、その舟運の拠点として繁栄したのが、関宿藩(せきやどはん)で、その藩庁があ

中部(東海)

10:熱海城|静岡県

所在地:静岡県熱海市曽我山1993
まさかの理由:東京オリンピックを契機に戦後の大発展を遂げた熱海の変革期に、まったく城郭のなかった熱海に誕生した観光施設が熱海城

熱海城

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(2)熱海城|静岡県

静岡県熱海市、熱海港近くの熱海後楽園ホテル近くから熱海ロープウェイで標高100mまで上り、さらに高台に建っているのが熱海城です。小田原(神奈川県小田原市)が北条氏の拠点だったため、その出城があったと誤解する人もいますが、たんなる観光施設とし

11:掛川城|静岡県

所在地:静岡県掛川市掛川1138-24
まさかの理由:掛川城の天守は山内一豊時代のものは江戸時代初期に地震で倒壊、再建天守も幕末に地震で倒れています
木造で再建された現在の天守は高知城を模したもの、歴史的な考証を経てはいますが復興天守とはいい難い存在です

掛川場天守

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(30)掛川城|静岡県

静岡県掛川市にあった山内一豊(やまうちかずとよ)が近世城郭に整えた城が、掛川城(日本100名城に選定)。二の丸御殿、大手ニの門が現存し、国の重要文化財に。平成6年4月に再建された天守は、10億5000万円を費やした日本初の木造復元天守。和釘

12:小山城|静岡県

所在地:静岡県榛原郡吉田町片岡2537-1
まさかの理由:もともと小山城に天守があったという可能性はありません
天守風の建物は、昭和62年に吉田町が町のシンボルとして建設した展望施設で、建つ場所も本丸ではなく、三の丸跡です

小山城

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(25)小山城|静岡県

静岡県榛原郡吉田町にある戦国時代の城跡が、小山城(こやまじょう)。「展望台小山城」という立派な模擬天守がそびえていますが、静岡県外の人でその存在を知る人は多くはありません。歴史的には武田信玄と松平家康(徳川家康)攻防の地で、駿河にありながら

13:浜松城|静岡県

所在地:静岡県浜松市中区元城町100-2
まさかの理由:徳川家康の出世城とPRする城で、現在の天守は昭和33年築の復興天守
江戸時代の絵図など史料がまったくないために、丸岡城の復興天守をモデルに建設
天守台に対し、その大きさの3分の1ほどしか使っていないため、戦国時代の天守の規模はさらに大きかった可能性も大という、少し情けない状態です

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(16)浜松城|静岡県

地元、静岡県浜松市では「徳川家康の出世城」とPRするのが、徳川家康が29歳から17年間居城し、天下統一の基盤を築いた場所、そして江戸時代には幕府の重臣の居城となったことが名の由来です。浜松城公園となった本丸には、鉄筋コンクリートの天守がそび

14:岩崎城|愛知県

所在地:愛知県日進市岩崎町市場67
まさかの理由:秀吉と家康が雌雄を争った小牧長久手の戦いの舞台ですが、砦的な存在で天守があったような近世的な城郭ではありません
昭和62年に築かれたコンクリート造り5階建てという立派なもので、歴史的な検証はありません

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(21)岩崎城|愛知県

愛知県民でも、岩崎城と聞いてピンとくる人は少ないはず。ましてや愛知県以外では、よほどの歴史好き、戦国時代を描いた時代劇好きでないと知らないと推測される城です。名古屋のベッドタウン、愛知県日進市にある城で、秀吉と家康が雌雄を争った小牧長久手の

15:小牧山城|愛知県

所在地:愛知県小牧市堀の内1-1
まさかの理由:昭和42年、名古屋市の実業家・平松茂が建設した鉄筋コンクリート造り、3層4階建ての天守閣風建物「小牧市歴史館」(小牧市に寄贈)
京都・西本願寺の飛雲閣を模したものですが、実は小牧山城には天守はありませんでした

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(7)小牧山城|愛知県

愛知県営名古屋空港(小牧空港)の北、濃尾平野の独立峰、小牧山に築かれた城が、小牧山城。もともとは織田信長が、美濃平定を目指し、清州城から本拠を小牧山に移して城を築いたのが始まり。信長没後の権力争いの小牧山の戦いでも有名です。そんな小牧山の山

16:岐阜城|岐阜県

所在地:岐阜県岐阜市金華山天守閣18
まさかの理由:岐阜・金華山山頂に織田信長が建てた建物は、4層4階あるいは4層5階の可能性もありますが、平屋だったという説もあって定かでありません
現在の天守は昭和31年に建てた、3層4階建てですが、史実を反映したわけではなくあくまで観光施設です(岐阜市のシンボルタワー)

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(15)岐阜城|岐阜県

織田信長が稲葉山城(現・岐阜城)を攻略、美濃、そして濃尾平野を手中に収め、「天下布武」をかかげたのが岐阜。井ノ口と呼ばれていた地名を岐阜と改めたのも信長で、稲葉山(金華山)の山麓に居館を築いています。現在、山頂部には鉄筋コンクリート造りの岐

17:墨俣一夜城|岐阜県

所在地:岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1
まさかの理由:織田信長の美濃攻略の一環で、木下藤吉郎が長良川西岸、犀川との合流点である墨俣に砦を築いたという伝説の城
時代劇ではさも史実であるように描かれていますが、実際には謎に包まれています
『信長公記』など史書にも記述がないので存在を疑う人も
もしあったとしても砦だったはずですが、平成3年に3重4階という立派な天守を建てています

墨俣一夜城

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(20)墨俣一夜城|岐阜県

時代劇や歴史が好きな人なら、墨俣一夜城(すのまたいちやじょう)と聞けば、少し心躍るものがあるのではないでしょうか。岐阜県大垣市墨俣町にあったという墨俣城は、織田信長の美濃攻めで、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が、一夜にして築いたという伝説の城。現在

18:郡上八幡城|岐阜県

所在地:岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659
まさかの理由:城下町を見下ろす山上に築かれた天守ですが、郡上八幡城には天守があったという証拠がありません
昭和8年に大垣城を模して建てられた天守は、木造の模擬天守としては日本最古のもの
大垣城は戦災で焼失しているので、貴重な建物ともいえます

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(18)郡上八幡城|岐阜県

『郡上おどり』や清流で名高い岐阜県郡上市。城下町を見下ろす山上に築かれているのが、昭和8年、木造で再建された郡上八幡城です。廃藩置県まで郡上藩の藩庁として機能し、続日本100名城にも選定される名城ですが、実際に、郡上八幡城に天守はあったのか

中部(北陸)

19:長岡城|新潟県

所在地:新潟県長岡市大手通1JR長岡駅前広場
まさかの理由:そもそも長岡城には天守はありませんでしたが、本丸(JR長岡駅)と離れた悠久山公園に市制60周年記念事業として昭和43年、天守風の「長岡市郷土史料館」を建設
しかも外観は会津若松城に似せています

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(5)長岡城|新潟県

新潟県長岡市は、江戸時代、越後長岡藩・牧野家(7万4000石)の居城、長岡城があり、幕末には戊辰戦争の激戦地となった地です。本丸跡は、現在の長岡駅あたり、二の丸跡が「シティホールプラザ アオーレ長岡」です。ところが、市街地のはずれ悠久山公園

20:富山城|富山県

所在地:富山県富山市本丸1
まさかの理由:戦後復興の昭和29年に開催の『富山産業大博覧会』で建設、その後、「富山市郷土博物館」として活用する天守風建築物ですが、もともと富山城には天守はありませんでした

富山城

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(6)富山城|富山県

富山県富山市の中心に位置する富山城。続日本100名城にも選定される富山城には立派な「天守」がそびえています。この天守、昭和29年に開催された『富山産業大博覧会』のシンボルタワーとして建設されたコンクリートの建物で、現在は富山市郷土博物館とし

21:勝山城|福井県

所在地:福井県勝山市平泉寺町平泉寺85-26-1
まさかの理由:勝山藩の藩庁だった勝山城は、本丸をはじめ市街化されて遺構は残されていません
天守的な建物は、勝山城博物館で、しかも本丸とは3kmほど離れている
加えていえば、勝山城には天守台は明治初期までありましたが、実は天守が建ったことはありませんでした

勝山城博物館

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(28)勝山城|福井県

福井県勝山市にあった城が、勝山城。江戸時代には勝山藩の藩庁として機能した城で、親藩・松平家、譜代大名・小笠原家の居城となり明治維新を迎えています。石高はわずかに2万3000石程度で、天守台はあったものの天守はありませんでした。現在の天守的な

22:越前大野城|福井県

所在地:福井県大野市城町3-109
まさかの理由:「天空の城」のキャッチフレーズで知られる城で、昭和43年に建てられたコンクリート製で、4階建ての天守がそびえています
金森長近が建てたと推測される天守はかなり奇抜なスタイルで、現在の天守とは似ても似つかないかたちでした

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(22)越前大野城|福井県

「天空の城」のキャッチフレーズで、雲海でも有名な福井県大野市の平山城が、 越前大野城。藩政時代には大野藩の藩庁で、現在の天守は、昭和43年に建てられた復興天守。「続日本100名城」にも選定されています。戦国時代末期に望楼型2重3階の天守が創

関西

23:大阪城|大阪府

所在地:大阪府大阪市中央区大阪城3-11
まさかの理由:昭和3年、大阪市長・關一(せきはじめ=大阪時代と称される繁栄をもたらした学者市長)が昭和天皇の即位記念事業として、大阪城の公園整備の一環として建設
博物館「天守閣郷土歴史館」として昭和6年に完成
初層から4層までは、徳川政権下の白漆喰壁(しろしっくいかべ)で、5層目のみ豊臣政権下の黒塗りという不可思議な豊臣時代と徳川時代の折衷型という存在

大阪城天守

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(10)大阪城|大阪府

大阪城公園にそびえ立つ、大阪城の天守閣。「大阪城天守閣は、豊臣時代・徳川時代に続く3代目のもので、昭和6年(1931)市民の寄付金によって復興されました」と説明されるように、3代目の天守であることをPRしています。さてさて、3代目の天守は、

24:岸和田城|大阪府

所在地:大阪府岸和田市岸城町9-1
まさかの理由:岸和田市民の熱意と旧城主の子孫・岡部氏の要望などから昭和29年に再建された模擬天守(当初は図書館)ですが、往時の天守は5層で、現在の模擬天守よりも10mも高かったことで、あくまで天守風な建物に(現在、岸和田城リニューアルプロジェクトが進行中です)

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(9)岸和田城|大阪府

大阪の城というと大阪城(大坂城)を思い浮かべますが、岸和田城も見逃せない名城。日本100名城は惜しくも逃したものの、続日本100名城ではその筆頭的な存在です。江戸時代には岸和田藩の藩庁で、江戸時代後期まで立派な天守がそびえていましたが、現在

25:尼崎城|兵庫県

所在地:兵庫県尼崎市北城内27
まさかの理由:明治初期まで現存していた尼崎城天守
本丸跡は、現在、尼崎市立明城小学校の敷地となっていて遺構はありません
平成30年に完成した天守風の建物は北西に300mほど離れた尼崎城址公園(西三之丸跡)に建設
外観的には復興ですが、場所がかなり違います

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(29)尼崎城|兵庫県

兵庫県尼崎市にあった近世城郭が、尼崎城。徳川家康の近習として仕えた戸田氏鉄(とだうじかね)が豊臣家滅亡(大坂の陣)後に尼崎藩を立藩し、築城した城です。複合式層塔型4重4階の天守がそびえ立っていましたが、現在も外観だけ復元した天守が尼崎城址公

26:洲本城|兵庫県

所在地:兵庫県洲本市小路谷
まさかの理由:本丸に天守台は現存しますが天守があったという記録はなし
昭和天皇御大典記念事業で昭和3年に、天守を構築

洲本城・模擬天守

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(3)洲本城|兵庫県

令和8年に築城500周年を迎える淡路島の名城、洲本城(すもとじょう/兵庫県洲本市)。「登り石垣」という全国でも数例しかない珍しい遺構が良好な状態で保存され、続日本100名城にも選定される城です。山上に建つ天守閣的な建物は、昭和4年に建造され

27:伊賀上野城|三重県

所在地:三重県伊賀市上野丸之内106
まさかの理由:昭和10年、地元出身の衆議院議員で翼賛政治に対抗した気骨の政治家、川崎克(かわさきかつ)の尽力で再建された天守ですが、江戸時代初期にあった3層の天守とは異なるもの
見事な複合式天守閣ですが、史実を反映した建物ではありません

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(8)伊賀上野城|三重県

伊賀忍者のふるさととして知られ、今や忍者で世界的に売り出し中の、伊賀上野。そのシンボル的な存在となっているのが伊賀上野城です。優美な姿で被写体にも絶好ですが、実は、復興天守(元あった天守をコンクリートや木造で再建)ではなく、あくまで模擬天守

四国・九州

28:今治城|愛媛県

所在地:愛媛県今治市通町3-1-3
まさかの理由:江戸時代初期に築城の名手、藤堂高虎が天守を建て、後に亀山城(丹波国)に移築したというのが定説ですが、天守台跡などが残されていません
現在の天守は昭和55年に鉄筋コンクリートで築かれた5層6階で、本丸北隅櫓の場所に
問題なのは藤堂高虎の目指した層塔型ではなく、なんと望楼型という高虎もビックリの設計です

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(19)今治城|愛媛県

愛媛県今治市の市街地に見事な天守がそびえ立つ今治城。築城の名手、藤堂高虎(とうどうたかとら)が築いた城で、瀬戸内海の海水を巧みに堀に取り入れ、日本三大水城に数えられています。そのため、登城する城ファンも多いのですが、実はこの今治城、天守が存

29:唐津城|佐賀県

所在地:佐賀県唐津市東城内8-1
まさかの理由:もともと天守のなかった唐津城に、昭和41年、5重5階地下1階という大大名クラスの豪壮な天守を構築
「この天守閣(てんしゅかく)を要に、東西に伸びる松原が、鶴が翼を広げた形に似ていることから、唐津城は別名舞鶴城(まいづるじょう)ともいわれています」と、あたかも復元天守のような表現(佐賀県のHP)で少し惑わせる感じに

唐津城

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(12)唐津城|佐賀県

佐賀県唐津市、松浦川(まつうらがわ)が唐津湾に注ぐ河口の横、満島山の山上にそびえ立つのが5重5階の唐津城の天守閣。唐津城は、唐津藩の藩庁で、寺沢広高(てらざわひろたか)が慶長13年(1608年)に完成させたもの。なぜ、誤解を生むのかといえば

30:中津城|大分県

所在地:大分県中津市二ノ丁1273
まさかの理由:旧藩主奥平家の末裔・奥平昌信が中心となって建設された復興天守
本丸・北東隅櫓のあった場所に、萩城の天守をモデルに建てたもので、史実を反映したものではありません
天守の南側には、望楼型の二重櫓・大鞁櫓(だいひやぐら)も史実を無視して建てられています

中津城

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(11)中津城|大分県

大分県中津市、黒田孝高(黒田官兵衛/如水)が築城し、細川忠興が完成させたという名城が、中津城です。薬研堀から眺めると見事な黒壁の天守がそびえ立っていますが、実はこの天守、歴史的考証のない復興天守。現在では「奥平家歴史資料館」という藩政時代の

確実に誤解を生む! まさかの天守閣 全30城
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

よく読まれている記事

こちらもどうぞ