戦後の市町村の復興、高度成長時代の観光開発などで、日本各地の城跡には数多くの天守風の建物が建てられています。コンクリート造りながらかつての天守の外観を復元したものもありますが、なかには史実を無視したもの、天守がなかった城に天守を建てたものなども存在。まさかの天守閣30城を紹介しましょう。
東北
1:久保田城|秋田県
所在地:秋田県秋田市千秋公園
まさかの理由:久保田藩(秋田藩)の藩庁ですが、もともとは天守どころか石垣もなかった城で、本来は御隅櫓(おすみやぐら)のあった場所に模擬天守を構築
秋田市は「史料に記されている2階造りを基本とした設計で、最上階には展望台が設けられています」と2階建ての望楼として再建したとしています
ただし外見上はどうみても4層(3重4階)なので、少し苦しい説明に
2:横手城|秋田県
所在地:秋田県横手市城山町29-1
まさかの理由:元和の一国一城令でも奇跡的に破却を免れ、秋田藩の支城として存在した横手城
それだけに、立派な天守があったはずもありませんが、昭和40年、複合式望楼型3重4階、コンクリート造りの天守を建設
モデルとしたのは、なんと、昭和34年に天守が復興した岡崎城(愛知県岡崎市)で、しかも建っているのは本丸跡ではなく、二の丸跡
3:上山城|山形県
所在地:山形県上山市元城内3-7
まさかの理由:現在の天守は昭和57年に建設されたコンクリート造り、3層5階で望楼型
現地の案内板には、「本丸北東部には御三階櫓があった」と記され、この御三階櫓が天守もしくは代用天守だとほのめかしていますが、模擬天守である現在の天守が建つのは、なんと二の丸跡
場所も姿も現在の模擬天守とは異なります
関東
4:忍城|埼玉県
所在地:埼玉県行田市本丸
まさかの理由:藩政時代には空き地だった忍城本丸跡に復元したという天守(忍城御三階櫓)
形状的には『忍城鳥瞰図』や文献などを元にした外観復元ですが、本来の場所とは大違いなので注意が必要です
5:千葉城|千葉県
所在地:千葉県千葉市中央区亥鼻1-6-1
まさかの理由:中世の城で、近世(江戸時代)には城がなかったのにもかかわらず、「千葉市立郷土博物館」として近世的な天守(5階建ての天守風建物)を建設
6:館山城|千葉県
所在地:千葉県館山市館山351-2
まさかの理由:館山城には天守があったという史実もなく、建物も犬山城をモデルにして歴史的な裏付けがない模擬天守を構築
7:大多喜城|千葉県
所在地:千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481
まさかの理由:昭和50年に建てられた千葉県立総南博物館(現・千葉県立中央博物館大多喜城分館)
近世当時の正確な天守の絵図は存在しないため、あくまで平均的な江戸時代の「多分、こんな感じだろう」的な天守です
8:久留里城|千葉県
所在地:千葉県君津市久留里448
まさかの理由:江戸時代に久留里藩の藩庁だった久留里城、現在の天守は、昭和54年に完成した鉄筋コンクリート造りの建物
なぜか天守台ではなく、天守台横に建っていて、往時は2層2階だったのに対して、こちらは2層3階という不思議な設計に
9:関宿城|千葉県
所在地:千葉県野田市関宿三軒家143-4
まさかの理由:現在の天守建物は千葉県立関宿城博物館として平成7年11月に開館
本丸の北西隅という本来の場所から500mほど離れたスーパー堤防上ですが、旧来の場所には建てることができませんでした
往時の姿を外観的には復元しているので、場所だけ大きく違うということに
中部(東海)
10:熱海城|静岡県
所在地:静岡県熱海市曽我山1993
まさかの理由:東京オリンピックを契機に戦後の大発展を遂げた熱海の変革期に、まったく城郭のなかった熱海に誕生した観光施設が熱海城
11:掛川城|静岡県
所在地:静岡県掛川市掛川1138-24
まさかの理由:掛川城の天守は山内一豊時代のものは江戸時代初期に地震で倒壊、再建天守も幕末に地震で倒れています
木造で再建された現在の天守は高知城を模したもの、歴史的な考証を経てはいますが復興天守とはいい難い存在です
12:小山城|静岡県
所在地:静岡県榛原郡吉田町片岡2537-1
まさかの理由:もともと小山城に天守があったという可能性はありません
天守風の建物は、昭和62年に吉田町が町のシンボルとして建設した展望施設で、建つ場所も本丸ではなく、三の丸跡です
13:浜松城|静岡県
所在地:静岡県浜松市中区元城町100-2
まさかの理由:徳川家康の出世城とPRする城で、現在の天守は昭和33年築の復興天守
江戸時代の絵図など史料がまったくないために、丸岡城の復興天守をモデルに建設
天守台に対し、その大きさの3分の1ほどしか使っていないため、戦国時代の天守の規模はさらに大きかった可能性も大という、少し情けない状態です
14:岩崎城|愛知県
所在地:愛知県日進市岩崎町市場67
まさかの理由:秀吉と家康が雌雄を争った小牧長久手の戦いの舞台ですが、砦的な存在で天守があったような近世的な城郭ではありません
昭和62年に築かれたコンクリート造り5階建てという立派なもので、歴史的な検証はありません
15:小牧山城|愛知県
所在地:愛知県小牧市堀の内1-1
まさかの理由:昭和42年、名古屋市の実業家・平松茂が建設した鉄筋コンクリート造り、3層4階建ての天守閣風建物「小牧市歴史館」(小牧市に寄贈)
京都・西本願寺の飛雲閣を模したものですが、実は小牧山城には天守はありませんでした
16:岐阜城|岐阜県
所在地:岐阜県岐阜市金華山天守閣18
まさかの理由:岐阜・金華山山頂に織田信長が建てた建物は、4層4階あるいは4層5階の可能性もありますが、平屋だったという説もあって定かでありません
現在の天守は昭和31年に建てた、3層4階建てですが、史実を反映したわけではなくあくまで観光施設です(岐阜市のシンボルタワー)
17:墨俣一夜城|岐阜県
所在地:岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1
まさかの理由:織田信長の美濃攻略の一環で、木下藤吉郎が長良川西岸、犀川との合流点である墨俣に砦を築いたという伝説の城
時代劇ではさも史実であるように描かれていますが、実際には謎に包まれています
『信長公記』など史書にも記述がないので存在を疑う人も
もしあったとしても砦だったはずですが、平成3年に3重4階という立派な天守を建てています
18:郡上八幡城|岐阜県
所在地:岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659
まさかの理由:城下町を見下ろす山上に築かれた天守ですが、郡上八幡城には天守があったという証拠がありません
昭和8年に大垣城を模して建てられた天守は、木造の模擬天守としては日本最古のもの
大垣城は戦災で焼失しているので、貴重な建物ともいえます
中部(北陸)
19:長岡城|新潟県
所在地:新潟県長岡市大手通1JR長岡駅前広場
まさかの理由:そもそも長岡城には天守はありませんでしたが、本丸(JR長岡駅)と離れた悠久山公園に市制60周年記念事業として昭和43年、天守風の「長岡市郷土史料館」を建設
しかも外観は会津若松城に似せています
20:富山城|富山県
所在地:富山県富山市本丸1
まさかの理由:戦後復興の昭和29年に開催の『富山産業大博覧会』で建設、その後、「富山市郷土博物館」として活用する天守風建築物ですが、もともと富山城には天守はありませんでした
21:勝山城|福井県
所在地:福井県勝山市平泉寺町平泉寺85-26-1
まさかの理由:勝山藩の藩庁だった勝山城は、本丸をはじめ市街化されて遺構は残されていません
天守的な建物は、勝山城博物館で、しかも本丸とは3kmほど離れている
加えていえば、勝山城には天守台は明治初期までありましたが、実は天守が建ったことはありませんでした
22:越前大野城|福井県
所在地:福井県大野市城町3-109
まさかの理由:「天空の城」のキャッチフレーズで知られる城で、昭和43年に建てられたコンクリート製で、4階建ての天守がそびえています
金森長近が建てたと推測される天守はかなり奇抜なスタイルで、現在の天守とは似ても似つかないかたちでした
関西
23:大阪城|大阪府
所在地:大阪府大阪市中央区大阪城3-11
まさかの理由:昭和3年、大阪市長・關一(せきはじめ=大阪時代と称される繁栄をもたらした学者市長)が昭和天皇の即位記念事業として、大阪城の公園整備の一環として建設
博物館「天守閣郷土歴史館」として昭和6年に完成
初層から4層までは、徳川政権下の白漆喰壁(しろしっくいかべ)で、5層目のみ豊臣政権下の黒塗りという不可思議な豊臣時代と徳川時代の折衷型という存在
24:岸和田城|大阪府
所在地:大阪府岸和田市岸城町9-1
まさかの理由:岸和田市民の熱意と旧城主の子孫・岡部氏の要望などから昭和29年に再建された模擬天守(当初は図書館)ですが、往時の天守は5層で、現在の模擬天守よりも10mも高かったことで、あくまで天守風な建物に(現在、岸和田城リニューアルプロジェクトが進行中です)
25:尼崎城|兵庫県
所在地:兵庫県尼崎市北城内27
まさかの理由:明治初期まで現存していた尼崎城天守
本丸跡は、現在、尼崎市立明城小学校の敷地となっていて遺構はありません
平成30年に完成した天守風の建物は北西に300mほど離れた尼崎城址公園(西三之丸跡)に建設
外観的には復興ですが、場所がかなり違います
26:洲本城|兵庫県
所在地:兵庫県洲本市小路谷
まさかの理由:本丸に天守台は現存しますが天守があったという記録はなし
昭和天皇御大典記念事業で昭和3年に、天守を構築
27:伊賀上野城|三重県
所在地:三重県伊賀市上野丸之内106
まさかの理由:昭和10年、地元出身の衆議院議員で翼賛政治に対抗した気骨の政治家、川崎克(かわさきかつ)の尽力で再建された天守ですが、江戸時代初期にあった3層の天守とは異なるもの
見事な複合式天守閣ですが、史実を反映した建物ではありません
四国・九州
28:今治城|愛媛県
所在地:愛媛県今治市通町3-1-3
まさかの理由:江戸時代初期に築城の名手、藤堂高虎が天守を建て、後に亀山城(丹波国)に移築したというのが定説ですが、天守台跡などが残されていません
現在の天守は昭和55年に鉄筋コンクリートで築かれた5層6階で、本丸北隅櫓の場所に
問題なのは藤堂高虎の目指した層塔型ではなく、なんと望楼型という高虎もビックリの設計です
29:唐津城|佐賀県
所在地:佐賀県唐津市東城内8-1
まさかの理由:もともと天守のなかった唐津城に、昭和41年、5重5階地下1階という大大名クラスの豪壮な天守を構築
「この天守閣(てんしゅかく)を要に、東西に伸びる松原が、鶴が翼を広げた形に似ていることから、唐津城は別名舞鶴城(まいづるじょう)ともいわれています」と、あたかも復元天守のような表現(佐賀県のHP)で少し惑わせる感じに
30:中津城|大分県
所在地:大分県中津市二ノ丁1273
まさかの理由:旧藩主奥平家の末裔・奥平昌信が中心となって建設された復興天守
本丸・北東隅櫓のあった場所に、萩城の天守をモデルに建てたもので、史実を反映したものではありません
天守の南側には、望楼型の二重櫓・大鞁櫓(だいひやぐら)も史実を無視して建てられています
| 確実に誤解を生む! まさかの天守閣 全30城 | |
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