江戸時代に上山藩(かみのやまはん)の藩庁が置かれたのが、山形県上山市にある上山城。戦国時代には伊達家と東北の覇権を争った最上氏の防御拠点ともなった城です。かみのやま温泉という観光地を有することから、上山城には望楼型3層5階の立派な天守閣がそびえ、郷土資料館として機能しています。
「羽州の名城」と称された上山城に天守はあった!?

天下分け目の関ヶ原合戦の慶長5年(1600年)。
出羽国(山形県)でも最上義光・伊達政宗(東軍)と上杉景勝(西軍)の間で慶長出羽合戦(けいちょうでわかっせん)が勃発。
上杉景勝は出羽国へと侵攻、北の関ヶ原とも称される戦いが繰り広げられています。
その際、上山城も攻防戦となっています。
元和の一国一城令での破却を免れた上山城は、そのまま最上氏の支城(山形城の支城)として機能しますが、元和8年(1622年)、最上家のお家騒動(最上騒動)で改易となり、松平重忠(まつだいらしげただ/譜代大名)が4万石で入城し、上山藩を立藩しています。
その後、蒲生家(外様)、土岐家(譜代)、金森家(外様)と目まぐるしく変わった後、松平信通(まつだいらのぶみち)が3万石で入城し、明治維新まで藤井松平家(譜代)3万石の居城となっています。
元禄10年(1697年)、松平信通入城時点では、すでに天守はなく(あるいは荒廃していたので)、以降は再建されています。
正保元年(1644年)、徳川家光が諸国の大名に提出を命じた『正保城絵図』には、本丸部分に2基の2層櫓が描かれています。
3層の天守があったともいわれるので、幕府の提出絵図には2層で描いたのが、すでに3層の天守は失われていたのかは定かでありません。
3層5階で望楼型天守はなぜか二の丸に「再建」

現在の天守は昭和57年に建設されたコンクリート造り。
3層5階で望楼型なので、「もし3層の天守があったとすればこんな感じだろう」という想定かと推測できます。
現地の案内板には、「本丸北東部には御三階櫓があった」と記され、この御三階櫓が天守もしくは代用天守だとほのめかしていますが、模擬天守である現在の天守が建つのは、なんと二の丸跡。
仮に「御三階櫓」が存在していたとしても、場所も姿も現在の模擬天守とは異なる本丸北東部ということに。
上山城のHPには、「~風格と憧憬の天守閣 ここは悠久なる歴史の縮図~」とPRされ、「現在の上山城は、映像など多彩な展示方法を取り入れた郷土資料館です」としています。
その言葉通り、見栄えもよく、しかも展示内容も城に関することだけでなく蔵王の自然、蔵王修験の歴史(「蔵王修験の世界」)など幅広いので訪れる価値は十分にあります。
かみのやま温泉を訪れるなら誰もが登城したくなる天守ですが、もともとの場所とは異なる、しかも天守がなかった可能性があることを頭に入れて入城を、ぜひ。
| 確実に誤解を生む! まさかの天守閣(23)上山城|山形県 | |
| 名称 | 上山城/かみのやまじょう |
| 所在地 | 山形県上山市元城内3-7 |
| 電車・バスで | JRかみのやま温泉駅から徒歩7分 |
| ドライブで | 山形自動車道山形蔵王ICから約14km |
| 駐車場 | 50台/無料 |
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