実は千葉県はまさかの天守閣(模擬天守)の宝庫です。そのひとつが千葉県君津市にある久留里城(くるりじょう)。戦国時代に里見義堯(さとみよしたか)が本拠とし、安房里見氏の最盛期を築き上げた城。江戸時代には3万石の小藩ながら久留里藩の藩庁となった城で、今も見事な「天守」がそびえています。
黒田直純が築いたのは2層2階の望楼式天守

里見義堯は、久留里城を本拠に房総半島の領有を実現しているので、いかにこの地が要衝だったのかがよくわかります。
地図を見てみると、南房総のまさに中心。
豊臣秀吉の小田原攻めの直後、関東に入封となった徳川家康は、榊原康政(さかきばらやすまさ=徳川四天王)の嫡男・大須賀忠政(松平忠政)が城主となっていることからもその重要性が認識できます。
関ヶ原の合戦後、土屋忠直(つちやただなお)が藩主となり、土屋家3代、黒田家9代が藩主となりますが、いずれも譜代大名です。
久留里城跡には、天守台と呼ばれる土壇がありますが、この天守台は、寛保2年(1742年)、上野国・沼田城(現・群馬県沼田市)から黒田直純(くろだなおずみ)が3万石で入城した際に築いた天守の跡と伝えられています。
黒田直純は幕府から久留里城再建のため、5000両を受け取り、土屋氏転封後に廃城化していた城を再整備、その際に2層2階の小ぶりな天守(櫓)を構築したのです。
土台が石垣でないことから、さらには礎石の配列状況などで、初重(1階)の上に高欄付きの望楼を載せた比較的に簡易な「望楼風」天守だったと推測され、櫓といっても過言ではない感じだったはずです。
2層3階の独立式望楼型天守として再建

現在の天守は、昭和54年に完成した鉄筋コンクリート造りの建物(2層3階)。
天守台の横に建てられていて、まさに模擬天守。
しかも往時の天守が2層2階だったのに対して、こちらは2層3階。
実は、昭和54年の建設時に浜松城の復興天守(コンクリート製、昭和33年完成)をモデルにしたから。
実は浜松城の復興天守も、まさかの天守閣のひとつで、名古屋工業大学名誉教授・城戸久の設計で、丸岡城天守がモデルに。
実際の浜松城の3分の2の大きさという代物です(史実の天守よりもかなり小ぶり)。
その浜松城を真似ているので、丸岡城にも似た天守ということになりますが、まるで歴史的な考証はありません。
共通性を探すと、江戸初期の形式を伝える「独立式望楼型天守」という点で、あくまで「なんちゃって天守」のレベルです。
内部も博物館というわけでもなく、展望台としての機能が重視されています。
それでも久留里城下から見上げる姿はかなり立派で、久留里の観光的なシンボルになっています。
久留里城三の丸跡まで東京駅から高速バス「アクシー号」、千葉駅から「カピーナ号」も結んでいるので、意外に手軽に登城することができ、週末の観光にも最適です。

| 確実に誤解を生む! まさかの天守閣(27)久留里城|千葉県 | |
| 名称 | 久留里城/くるりじょう |
| 所在地 | 千葉県君津市久留里448 |
| 電車・バスで | JR久留里駅からタクシーで5分 |
| ドライブで | 首都圏中央連絡自動車道木更津東ICから約10km |
| 駐車場 | 130台/無料 |
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