赤塚城

赤塚城

東京都板橋区赤塚5丁目、都立赤塚公園の一部となっている中世の平山城が、赤塚城(あかつかじょう)。康正2年(1456年)、下総千葉氏の内紛(市川合戦)に敗れた千葉自胤(ちばよりたね)が、市川城(現・千葉県市川市)から居城を太田道灌の支配下に移して築城したもの。

23区内に残る知られざる平山城で、空濠などがわずかに現存!

現在の笹目橋近くにあったという荒川の早瀬渡船場を抑える地で、陸運、水運の要衝。
石神井城を拠点に石神井川沿いの王子一帯までを支配した中世の名族・豊島氏を追放した太田道灌の援助を受け、千葉氏の内紛に敗れた千葉自胤が築城。
内紛に敗れた兄・千葉実胤は石浜城(現・台東区橋場、石浜神社が城跡候補地のひとつ)を拠点にしています。

康正3年(1457年)には扇谷上杉家の家宰・太田道灌が江戸城を築城、千葉自胤は太田道灌の力を借りて下総への帰還を願って千葉氏の再興を図っています。

天守などを有しない、武蔵野台地の上に築かれた中世の砦的なものだったと推測され、城の北側は徳丸ヶ原という荒川の後背湿地(戦前までは田んぼが広がり、東京市時代の米どころでした/戦後、高島平団地など開発が進行)。

小田原の北条氏の配下となって存続しますが、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が滅亡し、徳川家康の江戸入府で赤塚城も廃城になっています。

史跡指定は受けていませんが、土塁、堀切、空壕などが残り(本丸跡を示す石碑が立っています)、23区では江戸城に次ぐ保存状態の城郭遺構。
中世の城郭としては実に貴重なものですが、あまり知られていません。

都立赤塚公園の城址地区の一角にあり、東に赤塚公園の森が細長く続いています。

板橋区立美術館、板橋区立郷土資料館、旧田中家住宅が隣接するほか、周辺には東京大仏で有名な乗蓮寺(実はここが赤塚城二の丸跡)、板橋区立赤塚植物園、赤塚城主が開運祈願したと伝わる不動明王を祀る赤塚不動の滝などがあります。

赤塚城
名称 赤塚城/あかつかじょう
所在地 東京都板橋区赤塚5-35-25
関連HP 板橋区公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄西高島平駅から徒歩20分
駐車場 なし
問い合わせ 板橋区くらしと観光課 TEL:03-3579-2251/FAX:03-3579-7616
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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