1999年(平成11年)12月2日、世界文化遺産に登録されたのが「日光の社寺」。国内で10番目となる世界遺産の登録で、関東では初の世界遺産ということに。輪王寺、東照宮、二荒山神社の103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が構成資産です。
奈良時代に始まった日光の山岳信仰を知る

「日光の社寺」というのは、俗に「二社一寺」と称される東照宮、二荒山神社、輪王寺のこと。
世界文化遺産の登録推薦を受けて、「二社一寺」の建つ、日光山内と称されるエリア全体が、50.8haが文化財保護法にもとづく史跡指定を受けています。
これまで日光は、建築物は文化財指定を受けていますが、面的な保護がおろそかで、貴重な遺跡などを含む日光山内全体を史跡として保護し、開発などから守ったのです。
「日光の社寺」というと、「眠り猫」、陽明門などに象徴される徳川家康の廟所・東照宮を思い浮かべる人が多いのですが、実は、奈良時代の天平神護2年(766年)に創建された紫雲立寺(しうんりゅうじ/後の四本龍寺、現在の輪王寺)がルーツ。
日光開山の勝道上人は、苦労の上、男体山に登拝、その麓に紫雲立寺を建立したのです。
勝道上人は男体山(二荒山)の山頂に神を祀る祠を建立、これが二荒山神社のルーツで、輪王寺、二荒山神社は、神仏習合時代、日光の山岳修験(峰修行)とともに歴史を重ねてきたのです。
そんな日光が大きく変化したのが江戸時代で、徳川家康が東照大権現として神格化して祀られ、関東の鎮守として亡骸を久能山(東照宮)から日光へと移し、日光山内に廟所として東照宮を創建。
3代将軍、徳川家光は東照宮の現存する絢爛豪華な社殿を建立、自らも輪王寺の一角、大猷院に眠ったのです。
こうして日光は山岳修験の地から、歴代の将軍や諸大名、そして朝鮮通信使まで参詣に訪れる聖地と化し、日光例幣使街道も整備され、明治維新まで幕府の手厚い保護を受けています。
明治初年の神仏分離で、「二社一寺」に分かれましたが、それまでは一体化した聖地だったということに。
ちなみに二荒山神社は、「ふたらさん」と読みますが、当初は仏教の補陀落(ふだらく=観音菩薩が住むとされる伝説上の浄土)から「ふだらくさん」、あるいは「にっこうさん」だったとも推測されています。
神体山と祭神、本地仏
| 神体山 (日光連山) | 祭神 (二荒山神社) | 関係 | 本地仏 (日光山輪王寺) |
| 男体山(二荒山) 2486m | 大己貴命 (おおなむちのみこと) | 父 | 千手観音菩薩 (1000の願いを叶える) |
| 女峯山 2464m | 田心姫命 (たごりひめのみこと) | 母 | 阿弥陀如来 (西方極楽浄土の教主) |
| 太郎山 2368m | 味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと) | 子 | 馬頭観音菩薩 (煩悩を食べ尽くす) |

世界遺産「日光の社寺」 構成資産4 全紹介
| 施設名 | 所在地 | 内容(早わかり) 文化財 | |
| 1 | 輪王寺 | 日光市 山内2300 | 天平神護2年(766年)創建の古刹 日光開山の勝道上人の建立 天台宗の門跡寺院 明治初年の神仏分離までは中心的存在 徳川家光を祀った大猷院霊廟も |
| 大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿は国宝 本堂(三仏堂)など17棟が重要文化財 大猷院では20棟が重要文化財 美術工芸品にも国宝1、重文多数 | |||
| 2 | 東照宮 | 日光市 山内2301 | 徳川家康を神格化した東照大権現を祀る 徳川家康の廟所 当時の建築、工芸技術の粋を集めて造営 |
| 本殿・石の間・拝殿など国宝8棟 重要文化財34棟 美術工芸品いも国宝2、重文多数 | |||
| 3 | 二荒山神社 (ふたらさんじんじゃ) | 日光市 山内2307 ほか | 日光三山が神体山で勝道上人の創建 神仏習合時代には輪王寺と一体化 日光山内の本社のほかに 中禅寺湖畔の中宮祠、男体山頂に奥社が 神橋も二荒山神社の参道 |
| 本社11棟など重要文化財多数 美術工芸品に国宝2、重要文化財多数 | |||
| 4 | 日光山内 (にっこうさんない) | 日光市 山内 | 二社一寺の境内の総称 |
| 国宝9棟を含む103棟の歴史的建造物群 |
| 世界遺産「日光の社寺」 構成資産4 全紹介 | |
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