確実に誤解を生む! まさかの天守閣(21)岩崎城|愛知県

愛知県民でも、岩崎城と聞いてピンとくる人は少ないはず。ましてや愛知県以外では、よほどの歴史好き、戦国時代を描いた時代劇好きでないと知らないと推測される城です。名古屋のベッドタウン、愛知県日進市にある城で、秀吉と家康が雌雄を争った小牧長久手の戦いの舞台のひとつにもなっています。

小牧長久手の戦いで落城した中世の平山城

『小牧長久手合戦図屏風』(長久手の戦いを描いた屏風)

もともとは織田信長の父、織田信秀(おだのぶひで)が領有し、その家臣が守った城。
信長は勝幡城(しょばたじょう/現在の愛知県愛西市・稲沢市)で生誕したという説もありますが、その支城だったのが、この岩崎城です。

徳川家康の祖父で岡崎城を居城とする松平清康(まつだいらきよやす)は、尾張国攻略の足がかりとして享禄2年(1529年)、岩崎城を攻め、落城させています。
後に丹羽氏清(にわうじきよ)の居城となり、丹羽氏が3代にわたって城主となっています。

天正12年(1584年)の小牧長久手の戦いでは、長久手の戦いの緒戦となったのが、岩崎城の攻防戦。
『愛・地球博』(愛知万博)の長久手会場となった一帯は、実はこの小牧長久手の戦いの戦場でもあり、徳川方の丹羽氏と、秀吉に与した池田恒興(いけだつねおき)の三河奇襲部隊との間で、激戦が展開されたのです。

結果として城は落城し、その後、丹羽氏も三河へと移り、岩崎城も廃城となったのです。

現在の天守は昭和62年築のコンクリート5階建て

戦国時代末期、小牧長久手の戦い直後に廃城となった岩崎城は、その後、荒れ果てて本丸部分でさえ畑になっていたのだとか。
戦国時代の平山城なので、櫓台の上に櫓、あるいは望楼的な建物はあったでしょうが、それは天守と称するものではありません。

現在の天守は、昭和62年に築かれたコンクリート造り5階建てという立派なもので、最上階は展望室に。
4階は回廊で、2階と3階が博物館(展示施設)となっています。
小牧・長久手の戦いの舞台となった歴史を学び、展望室からその戦場となった一帯を眺めるという仕組みです。

まさに展望台を兼ねた資料館で、入館は無料なので、訪れる価値はそれなりにありますが、戦国時代の雰囲気が残されるのは空壕、井戸跡が残される城跡公園となった天守周辺だけ。

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(21)岩崎城|愛知県
開催日時 愛知県日進市岩崎町市場67
名称 岩崎城/いわさきじょう
電車・バスで 市営地下鉄東山線星ヶ丘駅から名鉄バストヨタ博物館前、五色園行きで20分、岩崎おんたけ口下車、徒歩3分
ドライブで 名古屋高速高針ICから約6km
駐車場 15台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

岩崎城跡(岩崎城歴史記念館)

岩崎城は尾張国の東端を守る信長の父・織田信秀が築城した織田氏の支城。その後丹羽氏の居城となり、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄(信長の二男)の連合軍が戦う小牧・長久手の戦いの激戦地となっています。模擬天守は、岩崎城歴史記念館で、往時に天守はなか

長久手古戦場公園

長久手古戦場公園

織田信長の死後、羽柴秀吉と徳川家康が覇権を争って戦った小牧・長久手の戦いの主戦場・長久手古戦場仏ヶ根跡を公園として整備したのが長久手古戦場公園。長久手合戦では家康軍が勝利を収め、秀吉軍には多数の戦死者(両軍の死者は秀吉軍2500人、家康軍5

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