確実に誤解を生む! まさかの天守閣(24)関宿城|千葉県

徳川家康が関東に封じられた際、最初に行なった大土木事業が、利根川の流れを変える利根川東遷事業。江戸を舟運で栄える町とし、洪水を防止しようという壮大なプロジェクトですが、その舟運の拠点として繁栄したのが、関宿藩(せきやどはん)で、その藩庁があったのが関宿城(千葉県野田市)です。

洪水との戦いだった関東平野の歴史を象徴する城

現在の関宿城はスーパー堤防の上に!

江戸周辺には譜代大名が領有する小藩が数多くありましたが、関宿藩もそのひとつ。
戦国時代には、関東の覇権を狙う北条氏も利根川要衝であるこの関宿を重視、北条氏康(ほうじょううじやす)も、上杉謙信に与した簗田晴助(やなだはるすけ)の居城・関宿城を虎視眈々を狙い、3度にわたっての攻撃の末に奪取し、北関東支配の拠点にしています。

豊臣秀吉の小田原攻めの後、北条氏が支配した関東に徳川家康が封じられると、関宿城には徳川家康の異父弟の松平康元(まつだいらやすもと=関ヶ原の戦いでは家康の代理として江戸城の留守居役)が入城するということからも、その重要性がよくわかります。

松平康元は、天守を構築せず、代用天守として3階建ての多重櫓である御三階櫓(ごさんがいやぐら)を建てています。
現存する弘前城天守も実際には御三階櫓なので、天守的な建物だったといえるかもしれません。
『正保城絵図』を見ると、瓦屋根ではなく、茅葺きの天守が描かれています。

天守損壊により、寛文11年(1671年)に再建された際には、江戸城・富士見櫓を模して御三階櫓を再建しています。

現在の御三階櫓は、千葉県立関宿城博物館として復興

主郭には本丸、二ノ丸、三ノ丸、発端曲輪(はったんくるわ)、天神曲輪が配置され、本丸の北西隅に代用天守の御三階櫓がそびえていたのです。
関宿城は、利根川と江戸川を結ぶ逆川に面した位置に建ち、城郭の周囲を土塁で守ってはいましたが、たびたび洪水で土塁が破られ、城郭が大破したこともありました。

現在の関宿城御三階櫓は、千葉県立関宿城博物館として平成7年11月に開館したもの。
利根川と江戸川の分流点のスーパー堤防上に建っています。
本丸の北西隅という本来の場所から500mほど離れていますが、旧地は洪水や河川改修でほぼ失われ、再建することができなかったためです。

外観は、江戸城の富士見櫓を真似ているので、往時の姿を外観的には復元したもの。
内部は「河川とそれにかかわる産業」をテーマにした博物館で、利根川の舟運、洪水との戦い、関宿城や関宿藩について詳しく解説しています。

関東に暮らす人なら、一度は訪れたい、まさに要衝の地にある博物館ですが、往時の場所とは離れている点にも注目を(南西に500mほど)。
本来の関宿城跡には石碑が建っていますが、城跡は河川改修のため3分の2が江戸川の土手(堤防)に埋まっています。

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(24)関宿城|千葉県
名称 関宿城/せきやどじょう
所在地 千葉県野田市関宿三軒家143-4
電車・バスで 東武川間駅から朝日バス境町行きで32分、関宿城博物館下車
ドライブで 東北自動車道加須ICから約21.6km
駐車場 100台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
関宿城

関宿城

千葉県野田市関宿町、天守を模した3層4階建ての千葉県立関宿城博物館の南西500mほどの江戸川河川敷一帯が、関宿城(せきやどじょう)。関宿城の城跡は河川改修のため、3分の2が江戸川土手の下に隠され、関宿城本丸跡に関宿城址の石碑が立っています。

千葉県立関宿城博物館

千葉県立関宿城博物館

千葉県野田市関宿三軒家、関宿城(せきやどじょう)本丸跡の北東500mのスーパー堤防上に建つ利根川・江戸川の舟運で栄えた関宿や、関宿城の歴史を解説する県立の博物館が、千葉県立関宿城博物館。関宿は、利根川舟運を掌握する重要拠点だった地で、利根川

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