徳川家康が関東に封じられた際、最初に行なった大土木事業が、利根川の流れを変える利根川東遷事業。江戸を舟運で栄える町とし、洪水を防止しようという壮大なプロジェクトですが、その舟運の拠点として繁栄したのが、関宿藩(せきやどはん)で、その藩庁があったのが関宿城(千葉県野田市)です。
洪水との戦いだった関東平野の歴史を象徴する城

江戸周辺には譜代大名が領有する小藩が数多くありましたが、関宿藩もそのひとつ。
戦国時代には、関東の覇権を狙う北条氏も利根川要衝であるこの関宿を重視、北条氏康(ほうじょううじやす)も、上杉謙信に与した簗田晴助(やなだはるすけ)の居城・関宿城を虎視眈々を狙い、3度にわたっての攻撃の末に奪取し、北関東支配の拠点にしています。
豊臣秀吉の小田原攻めの後、北条氏が支配した関東に徳川家康が封じられると、関宿城には徳川家康の異父弟の松平康元(まつだいらやすもと=関ヶ原の戦いでは家康の代理として江戸城の留守居役)が入城するということからも、その重要性がよくわかります。
松平康元は、天守を構築せず、代用天守として3階建ての多重櫓である御三階櫓(ごさんがいやぐら)を建てています。
現存する弘前城天守も実際には御三階櫓なので、天守的な建物だったといえるかもしれません。
『正保城絵図』を見ると、瓦屋根ではなく、茅葺きの天守が描かれています。
天守損壊により、寛文11年(1671年)に再建された際には、江戸城・富士見櫓を模して御三階櫓を再建しています。
現在の御三階櫓は、千葉県立関宿城博物館として復興

主郭には本丸、二ノ丸、三ノ丸、発端曲輪(はったんくるわ)、天神曲輪が配置され、本丸の北西隅に代用天守の御三階櫓がそびえていたのです。
関宿城は、利根川と江戸川を結ぶ逆川に面した位置に建ち、城郭の周囲を土塁で守ってはいましたが、たびたび洪水で土塁が破られ、城郭が大破したこともありました。
現在の関宿城御三階櫓は、千葉県立関宿城博物館として平成7年11月に開館したもの。
利根川と江戸川の分流点のスーパー堤防上に建っています。
本丸の北西隅という本来の場所から500mほど離れていますが、旧地は洪水や河川改修でほぼ失われ、再建することができなかったためです。
外観は、江戸城の富士見櫓を真似ているので、往時の姿を外観的には復元したもの。
内部は「河川とそれにかかわる産業」をテーマにした博物館で、利根川の舟運、洪水との戦い、関宿城や関宿藩について詳しく解説しています。
関東に暮らす人なら、一度は訪れたい、まさに要衝の地にある博物館ですが、往時の場所とは離れている点にも注目を(南西に500mほど)。
本来の関宿城跡には石碑が建っていますが、城跡は河川改修のため3分の2が江戸川の土手(堤防)に埋まっています。
| 確実に誤解を生む! まさかの天守閣(24)関宿城|千葉県 | |
| 名称 | 関宿城/せきやどじょう |
| 所在地 | 千葉県野田市関宿三軒家143-4 |
| 電車・バスで | 東武川間駅から朝日バス境町行きで32分、関宿城博物館下車 |
| ドライブで | 東北自動車道加須ICから約21.6km |
| 駐車場 | 100台/無料 |
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