確実に誤解を生む! まさかの天守閣(28)勝山城|福井県

勝山城博物館

福井県勝山市にあった城が、勝山城。江戸時代には勝山藩の藩庁として機能した城で、親藩・松平家、譜代大名・小笠原家の居城となり明治維新を迎えています。石高はわずかに2万3000石程度で、天守台はあったものの天守はありませんでした。現在の天守的な建物は、勝山城博物館です。

実は勝山城に天守はなかった!

勝山市街
勝山市街(勝山城下町)

勝山城は、柴田勝政(しばたかつまさ=佐久間盛次の三男)が、天正8年(1580年)に築城。
柴田勝政は、織田信長の重臣・佐久間盛政(さくまもりまさ)の弟で、尾張国愛知郡御器所(現・名古屋市昭和区)の出身。
信長は、越前一向一揆を鎮圧すると柴田勝家に越前8郡と北ノ庄城を与えていますが、佐久間盛政も北陸各地を転戦し加賀平定に尽力。

弟の柴田勝政は、柴田勝家の甥・柴田義宣(監物)の養子となり、柴田家入り、柴田義宣が勝山で討ち死にしたことで家督を継いで、居城を村岡山城(勝山市村岡町)から麓の袋田村、勝山城に移しています。

その柴田勝政も天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい=羽柴秀吉と柴田勝家の合戦)で討ち死にしています。

寛永元年(1624年)、松平直基(まつだいらなおもと=結城秀康の五男、つまり家康の孫)が勝山藩を立藩。
後に天領となるものの、元禄4年(1691年)、小笠原貞信(おがさわらさだのぶ)が藩主となり、以降8代にわたって小笠原家が藩主を務めています。

17世紀に幕藩体制を確立した幕府は、その安定強化のため、譜代大名の統制と転封を行なっていますが、小笠原家の勝山転封は、その一環です。
幕府から築城許可がおりたのは、宝永5年(1708年)のこと。
本丸に天守台が築かれましたが、財政難、幕府への配慮もあって実際に天守が築かれることはありませんでした。

勝山城博物館は、本丸と3kmほど離れている!

勝山城博物館
姫路城をモデルにした勝山城博物館

Googleマップで「勝山城」を検索しても、ヒットしません。
実は勝山城の城跡、城跡公園は存在せず、勝山市役所、勝山市民会館あたりが勝山城の本丸跡。
勝山市民会館横に「越前勝山城跡」の石碑が残される程度で市街化が進んでいます。

昭和40年、勝山市民会館の建設にあたり、天守台の石垣なども取り壊されたため、遺構は残されていないのです。
現在の天守風建築物は、平成4年7月19日に開館した勝山城博物館。
大阪、京都でタクシーを運行する相互タクシーの創業者・多田清(ただきよし)が社会貢献事業として越前大仏とともに建設したのが、勝山城博物館なのです。

コンクリート造り、高さ57.8mの巨大な建築物は、姫路城天守がモデル。
あくまで「天守をかたどった博物館」ということですが、勝山城博物館という名があるので、復興天守と間違う人も。
この勝山城博物館、かつての本丸・天守台からは3kmほども離れているので、勝山城とは無縁の存在ともいえますが、勝山市が公営の博物館がないため、それを補う機能をも有しています。

明治維新時に、新政府に恭順を示すために多くの建築物を破却、
加えて明治維新後も現存していた本丸の堀も、市民会館建設時に埋め立てられて道路となっているので、勝山城を偲ぶものはまるでないのが現状です。

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(28)勝山城|福井県
名称 勝山城/かつやまじょう
所在地 福井県勝山市平泉寺町平泉寺85-26-1
関連HP 勝山城博物館公式ホームページ
電車・バスで えちぜん鉄道勝山駅からタクシーで10分
ドライブで 北陸自動車道福井北ICから約26km
駐車場 75台/無料
問い合わせ 勝山城博物館 TEL:0779-88-6200/FAX:0779-88-1999
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
勝山城博物館

勝山城博物館

福井県勝山市、5年の歳月をかけ平成4年に竣工した5層6階の天守の中にある博物館が勝山城博物館。天守の高さは57.8mと全国一の高さを誇っています。勝山市の名誉市民、多田清氏が私財を投じて城を建設、自ら収集した古美術品などを展示しています。た

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