確実に誤解を生む! まさかの天守閣(22)越前大野城|福井県

「天空の城」のキャッチフレーズで、雲海でも有名な福井県大野市の平山城が、 越前大野城。藩政時代には大野藩の藩庁で、現在の天守は、昭和43年に建てられた復興天守。「続日本100名城」にも選定されています。

戦国時代末期に望楼型2重3階の天守が創建

天正4年(1576年)で、金森長近(かなもりながちか)が越前一向一揆鎮圧の功績で、織田信長から越前大野周辺を与えられ、亀山に城を築いたのが始まりです。
信長没後は秀吉の配下となり、天正14年(1586年)、飛騨国(岐阜県北部)を領有、高山を本拠として移っています。
大野城には秀吉配下の青木一矩(あおきかずのり)、さらに信長の孫、織田秀雄(おだひでかつ)が入城。

関ヶ原の合戦で織田秀雄が西軍に与したため、戦後、越前国は結城秀康(ゆうきひでやす=徳川家康の次男、越前松平家)の領有となり、大野城はその家臣が守備しています。

藩政時代には越前松平家が3代続き、後に天領に。
天和2年(1682年)、元老中・土井利房(土井利勝の四男)が藩主となり、明治維新まで譜代大名の土井家8代が藩主を務めています(石高は4万石という小藩です)。

天守は山頂にある天守曲輪に望楼型2重3階、小天守2重2階という複合連結式の天守が建っていました。
近世的な天守は地震などにも強い層塔型なので、中世的な天守だったことがわかります。

現在の天守は、コンクリート造り4階建て

天守曲輪に建つ天守は、安永4年(1775年)、城下町の大火が亀山にも飛び火し、焼失。
その後は、天守不要ということもあって再建されていません。

現在の天守は、元士族という萩原貞の寄付金を元に建てられたコンクリート製で、4階建て。
往時の建物よりも大きく、さらに外観の復元でもありません。
1階〜3階は資料館、4階は展望台という、よくある形の博物館兼展望台という天守で、復興天守というよりも模擬天守に近いスタイルです。

大野城の天守は、かなり奇抜な形のものを金森長近が建てたと推測されますが、現在の天守とは似ても似つかないものでした。

天空の城というと竹田城が有名ですが、年間10日ほどとはいうものの、越前大野城も天空の城を売りにしています。

雲の上にそびえる天守は、3階建てよりも4階建てのほうが見栄えもいいので、結果オーライの感じですが、往時の天守の外観復元ではないことを頭に入れて登城を。

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(22)越前大野城|福井県
名称 越前大野城/えちぜんおおのじょう
所在地 福井県大野市城町3-109
電車・バスで JR越前大野駅から徒歩20分
ドライブで 北陸自動車道福井ICから約25km
駐車場 100台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

越前大野城

1575(天正3)年に越前を平定した織田信長は、翌1576(天正4)年、のちに高山藩主として名を馳せる金森長近を4万石で越前大野に封じました。その金森長近が標高249.1mの亀山に築いたのが越前大野城(亀山城)。天守などは1775(安永4)

よく読まれている記事

こちらもどうぞ