楊谷寺谷戸横穴群

楊谷寺谷戸横穴群

神奈川県中郡大磯町大磯、湘南平(高麗山公園)の山腹に築かれた横穴墓群が、楊谷寺谷戸横穴群(ようこくじやとおうけつぐん)。大磯丘陵は全国屈指の横穴墓密集地帯ですが、楊谷寺谷戸横穴群も4段にわたり27基が確認され、土砂による埋没などで20基ほどが現存しています。

日本最大級の横穴墓密集地域にある、最大の横穴墓群

楊谷寺谷戸横穴群

7世紀~8世紀(古墳時代後期〜終末期、奈良時代)に築かれた横穴墓は、天井が屋根型の家型横穴墓、横穴墓の奥にさらに棺室を設けた棺室横穴墓などもあり、横穴墓の時代による変遷を示す貴重な遺構となっています。
崩落の危険があるため、内部には立ち入ることは厳禁。

神奈川県下に存在する横穴墳墓群は550ほどで、とくに大磯丘陵南側、三浦半島の東側、相模湾北東部沿岸、多摩丘陵地帯の4ヶ所は集中地帯です。

大磯丘陵ではこれまでに80群605基の古墳時代末期横穴墓が確認され、埋没したものを含めれば、1000基以上が築かれていたと推測され、「大磯丘陵はわが国最大の横穴墓密集地域」(大磯町『おおいその歴史』)ということに。

旧大磯地区では楊谷寺谷戸横穴群(27基)のほか、大磯城山公園の城山横穴群(じょうやまおうけつぐん/8基)、善福寺横穴群(12基)、王城山横穴群(13基〜14基)、清水北横穴群(14基)、立野横穴群(13基)、高平穴口横穴群(16基)、本郷山横穴群(20基)、金久保南横穴群(18基)があり、やはり、楊谷寺谷戸横穴群が見学できる最大級の横穴墓群です。

旧国府地区では、古墳時代の横穴墓を改変し、十一面観音像を祀った谷戸観音、谷戸観音近くの庄ヶ久保横穴群(しょうがくぼおうけつぐん/9基)、堂後下横穴群(13基)、下田横穴群(16基)、穴寺横穴群(23基)、権現田横穴群(13基)、東奥沢横穴群(ひがしおんざわおうけつぐん/15基)、たれこ谷戸東横穴群(14基)などがあります。

かつては大磯駅前横穴群(5基)、大磯駅東横穴群(2基)という「駅前横穴墓」もありましたが、開発で失われています。

被葬者は、古墳の築造契機となった有力家父長とその家族と推測され、7世紀になると古墳に埋葬されることが可能となった階層が増えたこと、ヤマト王権による地域支配が進んだことの裏付けにもなっています。

古墳時代から飛鳥・奈良時代へ、古代の日本が律令制へと移行していくプロセスで、伝統的な墓造り(古墳の石室部分が横穴墓に発展)にこだわり続けた古代の人びとの姿も垣間見ることができます。
それでも7世紀中葉〜後葉に迎えた群集墳築造のピークを過ぎると、横穴墓も構築されなくなり、律令制の相模国が生まれたことがわかるのです。

ちなみに大磯は、高麗(こま)という地名が残るように帰化人の上陸地ともいわれますが、横穴墓は北部九州から広まって後期古墳時代には各地に分布しているので、必ずしも帰化人と結びつくものではありません。

楊谷寺谷戸横穴群
名称 楊谷寺谷戸横穴群/ようこくじやとおうけつぐん
所在地 神奈川県中郡大磯町大磯
電車・バスで JR大磯駅から徒歩25分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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