宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)

宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)

大阪府の南端にある岬町、南海本線の淡輪(たんのわ)駅前には巨大な前方後円墳があり、これが、宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)。宇度墓古墳は、垂仁天皇第2皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の陵墓とされ、宮内庁の「陵墓参考地」となっています。この地が古代、大阪湾の交易で重要な地だったことの証にもなっています。

「駅前古墳」ながら、全長200mという巨大な前方後円墳

宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)
宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)

全長200m・前方部幅120m・後円部経110mの巨大な前方後円墳ですがが、残念ながら水堀に囲まれ、宮内庁「陵墓参考地」ゆえに立ち入りも厳禁。
見学方法は狭い周回道路から陵墓を眺めるにとどまります。
延長5年(927年)成立の『延喜式』諸陵寮(諸陵式)に和泉国日根郡(現在の泉佐野市、泉南市、岬町一帯)に「宇度墓」があると記され、それが淡輪ニサンザイ古墳が五十瓊敷入彦命の墓という有力な根拠になっています。

五十瓊敷入彦命は、河内、大和、摂津、美濃などにため池を造って農地を開拓し、菟砥川上宮(うとのかわかみのみや=大阪府泉南郡阪南町の菟砥川流域あったという宮)で剱を鋳造して石上神宮(いそのかみじんぐう/奈良県天理市=物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫とも)に寄進し有事に備えたと伝えられます。
河内では、高石池(大阪府高石市)、茅渟池(ちぬいけ/大阪府泉佐野市)を築いたと伝わります。

岐阜の伊奈波神社(いなばじんじゃ)の祭神でもあり、伊奈波神社の社伝によれば奥州平定後、五十瓊敷入彦命の成功を妬んだ陸奥守豊益の讒言により、朝敵とされて現在の伊奈波神社の地で討たれたと伝えています。

また日本最古の神社ともいえる石上神宮の伝承では、老衰で亡くなったとされ、定かでありません。

宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)の築造は、5世紀後半。
大阪湾に臨む淡輪は、伊勢・熊野と大阪を結ぶ海路の重要な中継地にもあたります。

朝鮮半島の政治不安が起こるまでは難波津(現在の大阪港)が古代日本の交易・政治の中心だったと推測されるから、対岸に淡路を眺める淡輪も交易で大いに栄えた地だったことが想像できるのです。

宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳) DATA

名称 宇度墓古墳(淡輪ニサンザイ古墳)/うどはかこふん(たんのわにさんざいこふん)
所在地 大阪府泉南郡岬町淡輪
関連HP 岬町公式ホームページ
電車・バスで 南海電鉄淡輪駅から徒歩2分
ドライブで 阪和自動車道泉南ICから約12km
駐車場 なし
問い合わせ 岬町教育委員会 TEL:072-492-2715
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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