六波羅蜜寺・弁財天堂

六波羅蜜寺・弁財天堂

踊り念仏で知られる空也創建の京の名刹、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)。江戸時代までは大伽藍を有していましたが、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で寺域を大幅に縮小し、今では本堂、弁財天堂(弁天堂)、宝物収蔵庫のみとなっています。弁財天堂は、七福神めぐり発祥という『都七福神』の弁財天を祀っています。

六波羅弁財天像は、崇徳天皇ゆかりと伝承

六波羅蜜寺・弁財天堂

弁財天堂に祀られる像高30cmほどの六波羅弁財天像は、平安時代後期、崇徳天皇(すとくてんのう=保元の乱で後白河天皇に敗れ、讃岐に配流)の夢告により禅海上人が造立したもので、十住心院の本尊とされていましたが、明治の廃仏毀釈で六波羅蜜寺に遷座したもの。
十住心院は、崇徳天皇が寵愛した女官・阿波内侍(あわのないじ=藤原信西の息女)の屋敷跡で、禅海上人が寺に改め万寿山新醍醐寺として崇徳院の霊を鎮めるために創建したもの。
六波羅弁財天像は、福徳自在、技芸上達のご利益があると信仰されています。

平家と六波羅との関わりは、平清盛の祖父で伊勢平氏の平正盛(たいらのまさもり)が六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)近くに邸宅を構え、阿弥陀堂(現在の常光院)を建立したことに始まります。
平安後期、六波羅蜜寺は、北は四条通、南は七条通、西は鴨川、東は東大路通に囲まれたという広大な寺域を誇っていました。
日宋貿易で富を蓄えた平忠盛(たいらのただもり=平清盛の父)は、六波羅蜜寺境内の塔頭(たっちゅう=子院)に平家一族を住まわせ、平清盛の代になると「屋敷三千二百余宇」(延慶本『平家物語』「平家都落ル事」)の大集落を形成し、「六波羅殿」(六波羅館)と呼ばれるようになったのです。

取材協力/六波羅蜜寺

名称 六波羅蜜寺・弁財天堂/ろくはらみつじ・べんざいてんどう
所在地 京都府京都市東山区五条通大和大路上ル東
関連HP 六波羅蜜寺公式ホームページ
電車・バスで 京阪本線五条駅から徒歩5分
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約7.5kmで市営清水坂観光駐車場(駐車場から清水坂を下り徒歩8分)
駐車場 市営清水坂観光駐車場(59台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ TEL:075-561-6980
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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