名護屋城・天守台跡
築城の達人・加藤清正を筆頭に、諸将の普請によって築かれた名護屋城(佐賀県唐津市)。標高89mの山頂部分には5層7階、高さ25~30mの天守を有した本丸があり、22m×18mの天守台の跡からは、巨大な礎石列や穴蔵が発掘、周…
築城の達人・加藤清正を筆頭に、諸将の普請によって築かれた名護屋城(佐賀県唐津市)。標高89mの山頂部分には5層7階、高さ25~30mの天守を有した本丸があり、22m×18mの天守台の跡からは、巨大な礎石列や穴蔵が発掘、周…
本丸(天守・御殿)、二の丸、三の丸と、さらには指月山に詰城と堅牢な防御を誇った萩城。本丸の南西部に配された天守は桃山時代初期の様式で、高さ21m、5層5階の複合式望楼型の壮麗なものだったとか。現在は天守跡(天守台)の石垣…
織田信長が築いた安土城(「日本100名城」選定)の天守は、信長の天下布武(てんかふぶ)の象徴だった建物で、安土城跡の本丸跡に天守台跡が残されています。天守5階は正八角形の「八角の段」となり宇宙をかたどっていました。内部に…
築城当初のわずかな間だけあったとされるのが福岡城の天守台。大天守台は東西25m、南北22mという巨大なもので、東側に中天守台と小天守台が連なっています。天守台周辺から瓦が発掘されていることから天守が建っていたことは確実で…
城山の頂に位置するのが徳島城の本丸ですが、東側に一段下がった場所にあるのが東二の丸。徳島城ではここに天守が建てられていました。1階は7間四方(一辺が14mの正方形)という大きさでしたが、天守台(天守を支える石垣など)は築…
将軍家に最も近い親藩の城である甲府城で一番の高台である本丸に位置するのが天守台。天守台は台形状で、1590年代に築城された当時のままの野面積(のづらづ)みの石垣が現存しています。西側に配された階段で石垣の上に上がることも…