長崎の鼻(長崎鼻台場)
高松市の屋島最北端、瀬戸内海に突き出した岬が長崎の鼻。テーブル状になった典型的なメサ地形の屋島は、古代に屋嶋城(やしまのき)が築かれ、源平合戦では平家の水軍の拠点となりました。つまり瀬戸内の制海権を確保するための重要な地…
高松市の屋島最北端、瀬戸内海に突き出した岬が長崎の鼻。テーブル状になった典型的なメサ地形の屋島は、古代に屋嶋城(やしまのき)が築かれ、源平合戦では平家の水軍の拠点となりました。つまり瀬戸内の制海権を確保するための重要な地…
屋島山上の南嶺を一巡する遊歩道の途中には7ヶ所ほどの展望台がありますが、突き出た断崖の岩が海に向かって吼えている獅子に見えることが名の由来の景勝地が獅子の霊巌展望台(ししのれいがんてんぼうだい)。高松市内はもちろん、屋島…
屋島は南嶺と北嶺に分かれるが、屋島ドライブウェイで登る南嶺の東側の台地の縁は、屋島壇ノ浦の古戦場を見渡す一等地。一帯は談古嶺という名で知られています。その南側に位置する源平合戦古戦場展望台は、壇ノ浦を眼下に、その左手に平…
屋島南嶺東端にある談古嶺(だんこれい)は、獅子の霊巌(屋島南嶺西端)、遊鶴亭(屋島北嶺北端)と並ぶ屋島三大展望台のひとつ。明治30年、村雲日栄尼(むらくもにちえいに=伏見宮邦家親王の第8皇女)が屋島登山の折、源平合戦の史…
屋島北嶺にある展望台で、獅子の霊巌、談古嶺と並ぶ屋島三大展望台の一つが屋島北嶺の遊鶴亭展望台(ゆうかくていてんぼうだい)。大正12年、香淳皇后が命名したもの。テーブルマウンテン(メサ地形)となった屋島台地の北端に位置する…
天智天皇2年8月(663年10月)、朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍の間で激戦となった白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)。その敗北の結果、大和朝廷は、北九州と瀬戸内海に…