山縣有朋誕生地
山口県萩市川島、萩城下を流れる橋本川堤防近くにあるのが、山縣有朋誕生地(やまがたありともたんじょうち)。天保9年閏4月22日(1838年6月14日)、萩城下近郊の阿武郡川島村で生まれた山縣有朋。生誕地には「元帥公爵山縣有…
山口県萩市川島、萩城下を流れる橋本川堤防近くにあるのが、山縣有朋誕生地(やまがたありともたんじょうち)。天保9年閏4月22日(1838年6月14日)、萩城下近郊の阿武郡川島村で生まれた山縣有朋。生誕地には「元帥公爵山縣有…
東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。その墓地には数多くの著名人が眠っていますが、そのひとつが山縣有朋の墓(やまがたありとものはか)。山縣有朋は、最下級の萩藩士である中間(ちゅうげん)から身を起こして…
明治20年代に山縣有朋(やまがたありとも)らによる本土要塞化の一環で、東京湾の要塞化が図られました。最初に築かれたのが、富津岬の根元の砲台(富津元洲堡塁砲台)と、富津岬沖(約1kmほど沖)の第一海堡(だいいちかいほ/だい…
日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」といわれる明治の元勲・山縣有朋(やまがたありとも)。山縣有朋は、殖産興業を目的に、明治19年、那須・高原山山麓(現・矢板市)に伊佐野農場(後の山縣農場)を開場。山縣有朋記念館は、山縣有朋…
明治23年、吉田松陰鎮魂のために、松下村塾横に土蔵の祠を建て吉田松陰遺愛の硯などを祀ったのが萩市にある松陰神社の始まり。つまり祭神は吉田松陰本人で吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)。明治40年、松下村塾の門下生・伊藤博…
萩城下の松本村(現在の萩市椿東松本)は、明治維新の精神的指導者として知られる吉田松陰(よしだしょういん)の実家、杉家があった場所。吉田松陰の叔父である玉木文之進(たまきぶんのしん)が天保13年(1842年)に開いた私塾・…
都が東京に移った後の京都の発展の起爆剤とするため、琵琶湖の湖水を京都市街へと通し、発電、灌漑、さらには物資や旅客の運搬に活用しようという明治初期の一大プロジェクトが琵琶湖疏水建設。レンガや石で組まれた構造物には、明治の元…