清水山城
長崎県対馬市厳原町、近世の城・金石城(最初に対馬藩藩庁が置かれた城)の背後にそびえる清水山(210m)の山上に、豊臣秀吉の命で文禄・慶長の役の兵站基地として築かれた城が、清水山城(しみずやまじょう)。壱岐島の勝本城ととも…
長崎県対馬市厳原町、近世の城・金石城(最初に対馬藩藩庁が置かれた城)の背後にそびえる清水山(210m)の山上に、豊臣秀吉の命で文禄・慶長の役の兵站基地として築かれた城が、清水山城(しみずやまじょう)。壱岐島の勝本城ととも…
長崎県壱岐市勝本町にある中世の山城(国の史跡)が勝本城。天正19年(1591年)、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際し、兵站基地として松浦鎮信(まつらしげのぶ)に命じて築いた城で、豊臣秀吉の死後、破却され、現在は城…
豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点とするために肥前国松浦郡名護屋(現・佐賀県唐津市)に築城の達人といわれた加藤清正などの諸将に築かせた城が名護屋城(なごやじょう)。松浦党・波多親(はたちかし)の家臣、名護屋経述(…
朝鮮侵略を目的に、豊臣秀吉が2度の出兵を行なった、文禄・慶長の役(朝鮮では「壬辰・丁酉の倭乱」)。慶長の役の際、軍功の証として慣例である首級(しるし)の代わりに、敵兵の耳や鼻などを切り落とす「鼻切り令」が出されました。そ…