平城宮跡
710(和銅3)年、元明天皇により飛鳥藤原京から奈良に遷都された平城京。道路を碁盤の目のように整備して大極殿、内裏、朝堂院が並び、その中央北端にあった平城宮の宮城である平城宮は南北約1km、東西約1.3kmの規模。内裏や…
710(和銅3)年、元明天皇により飛鳥藤原京から奈良に遷都された平城京。道路を碁盤の目のように整備して大極殿、内裏、朝堂院が並び、その中央北端にあった平城宮の宮城である平城宮は南北約1km、東西約1.3kmの規模。内裏や…
昭和42年に平城宮東張出し部の南東隅に発見された庭園跡。『続日本紀』に記される平城宮の「東院」にあたることから東院庭園と名付けられました。発掘調査の結果、東西80m×南北100mの敷地のなかに洲浜敷の池が設けられ、その周…
天智天皇(てんじてんのう)が約1300年前に九州の政治の中心として創建した役所が大宰府政庁(だざいふせいちょう)。奈良から平安時代にかけて九州を治め、わが国の西の守りとしての防衛を、また外国との交渉の窓口として重要な役割…
宮城県多賀城市、仙台平野が一望できる丘陵の末端を利用して造られた古代の城跡で、奈良・平安時代の東北地方の政治・軍事・文化の中心地だったの多賀城跡。東北から北海道を領有していた蝦夷(えみし)を制圧するため、724(神亀元)…