津軽藩増毛勤番越冬陣屋跡
北海道増毛町(ましけちょう)にある、江戸時代中期の津軽藩による蝦夷地警備の陣屋跡が津軽藩増毛勤番越冬陣屋跡。文化4年(1807年)、徳川幕府はロシアの南下政策に対抗するため仙台、会津、南部、秋田、庄内の各藩に蝦夷地警備を…
北海道増毛町(ましけちょう)にある、江戸時代中期の津軽藩による蝦夷地警備の陣屋跡が津軽藩増毛勤番越冬陣屋跡。文化4年(1807年)、徳川幕府はロシアの南下政策に対抗するため仙台、会津、南部、秋田、庄内の各藩に蝦夷地警備を…
青森県弘前市紙漉町(かみすきまち)にある湧水が富田の清水(とみたのしつこ)。紙漉町という名の通り、延宝5年(1677年)に町割りされ、貞享3年(1686年)、津軽藩4代藩主・津軽信政の命で熊谷吉兵衛が、清水(しつこ)を利…
1807年(文化4)年、北海道周辺に出没するロシア船に備え、幕府から斜里での警備を命じられた津軽藩士100名のうち、72名が、飢えと寒さにより死亡した津軽藩士殉難事件が起こりました。そうした苦難の歴史を背景に、青森県弘前…
ロシアの南下に備える最前線で警備をするために、寒さに強いとの理由で、1807(文化4)年、津軽藩士230名が宗谷に派遣されています。冬の厳しい寒さで多数の越冬死者を出し、翌1808(文化5)年には、内藤源助、梶原平馬率い…