壇之浦漁港
山口県下関市、赤間神宮の関門橋寄りの赤間関に位置するのが壇之浦漁港。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』によれば「壇之浦の海上で三町を隔て船を向かわせて源平が相戦う」とあり、現在の壇之浦漁港眼前の海で源平の海戦が繰り広げられたこと…
山口県下関市、赤間神宮の関門橋寄りの赤間関に位置するのが壇之浦漁港。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』によれば「壇之浦の海上で三町を隔て船を向かわせて源平が相戦う」とあり、現在の壇之浦漁港眼前の海で源平の海戦が繰り広げられたこと…
従一位太政大臣にまでのぼりつめた平清盛(たいらのきよもり)。娘・徳子を高倉天皇に嫁がせ、壇之浦で水に身を投げた安徳天皇が産まれています。山口県下関市の南端の島、彦島(ひこしま)の杉田丘陵にあるのが清盛塚。彦島には寿永3年…
兵庫県神戸市にある「神戸」という地名の語源となった古社が生田神社(いくたじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載の古社で、神功皇后の三韓外征の帰途、神戸沖で船が進まなくなり、占いを行なったところ稚日女尊(わかひ…
関門海峡の最狭部、北九州市門司区の古城山(174.9m)にある中世の山城の跡。一帯は和布刈公園(めかりこうえん)として整備されています。壇ノ浦合戦の直前に平家側が築いたのが始まりという。その後、藤原親房が門司氏を名乗り、…
屋島は南嶺と北嶺に分かれるが、屋島ドライブウェイで登る南嶺の東側の台地の縁は、屋島壇ノ浦の古戦場を見渡す一等地。一帯は談古嶺という名で知られています。その南側に位置する源平合戦古戦場展望台は、壇ノ浦を眼下に、その左手に平…
四国霊場第84番の札所が屋島寺(やしまじ)。天平勝宝6年(754年)、鑑真和上(がんじんわじょう)が朝廷に招かれ奈良に向かう途中(2月4日に平城京に到着)、屋島北嶺に創建し、後に空海が南嶺に移したと伝えられている古刹。鎌…
寿永2年5月11日(1183年6月2日)、木曽義仲(源義仲)率いる源氏が平維盛の平家と激突した砺波山合戦(となみやまがっせん)の古戦場が、倶利伽羅峠古戦場(くりからとうげこせんじょう=倶利伽羅県定公園)。牛500頭の角に…