宮崎県三大名城とは!?
宮崎県内で日本100名城に選定されるのは、日南市の飫肥城(おびじょう)のみで、続日本100名城が延岡市の延岡城と宮崎市の佐土原城。それぞれ、藩政時代の飫肥藩、延岡藩、佐土原藩の藩庁で、以上が宮崎県三大名城といえるでしょう…
宮崎県内で日本100名城に選定されるのは、日南市の飫肥城(おびじょう)のみで、続日本100名城が延岡市の延岡城と宮崎市の佐土原城。それぞれ、藩政時代の飫肥藩、延岡藩、佐土原藩の藩庁で、以上が宮崎県三大名城といえるでしょう…
第31代飫肥藩主・伊東祐相(いとうすけとも)の命で、江戸時代後期の天保2年(1831年)に開設した飫肥藩の藩校が振徳堂(しんとくどう)。石垣に囲まれた広い敷地内に、長屋門と主屋が保存されています。明治時代、外交官として活…
宮崎県日南市、藩政時代に飫肥藩(おびはん)の藩庁となった飫肥城は、周囲が24町(約2.6km)あり、本丸、藩主の生活の場だった松尾の丸、中の丸、今城、西の丸、北の丸、松の丸、小城、中の城、宮薮、八幡城からなる、典型的な平…
宮崎県日南市、飫肥城の大手門の前にある歴史的な建造物が豫章館(よしょうかん)。藩主・伊東家の家臣・伊東主水(いとうもんど)の屋敷で、飫肥の武家屋敷のうちでももっとも格式の高い家が現存(明治元年築)。飫肥藩の典型的な武家屋…
昭和53年、飫肥(おび)城の大手門の再現とともに設置されたのが飫肥城歴史資料館。飫肥城は、1587(天正15)年に豊臣秀吉に仕えた伊東祐兵(いとうすけたけ)が九州征伐の戦で戦功を認められて賜った城。明治4年の廃藩置県まで…
難攻不落の名城として全国にその名を轟かせた日南市の飫肥城(おびじょう)。すべての城郭建築は残念ながら明治6年に取り壊されてしまっていますが、石垣だけは当時のまま現存し、銃弾跡が残されています。その石垣に合わせて昭和53年…