高知県二大名城とは!?
藩政時代には山内家の治世が続いた土佐藩。山内一豊(やまうちかつとよ)が築城した高知城が日本100名城に選定、戦国時代に長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が四国統一の拠点とした岡豊城(おこうじょう)が続日本100名城に選…
藩政時代には山内家の治世が続いた土佐藩。山内一豊(やまうちかつとよ)が築城した高知城が日本100名城に選定、戦国時代に長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が四国統一の拠点とした岡豊城(おこうじょう)が続日本100名城に選…
現在、国内に戦国末期から江戸時代の木造天守が残るのは12ヶ所。「現存12天守」と呼ばれています。北から、弘前城、国宝松本城、丸岡城、国宝犬山城、国宝彦根城、国宝姫路城、国宝松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高…
土佐出身の板垣退助は、自由民権運動の指導者のひとりで第2次伊藤内閣の内相。明治維新以前は土佐藩の藩士だったこともあって、板垣退助像が高知城の追手門をくぐってすぐの石段の上り口に立っています。
高知城の玄関(大手)にあたる追手門から入城した高知県立図書館前に立つのが、土佐藩の初代藩主山内一豊(やまうちかつとよ)の騎馬銅像、山内一豊像。平成8年9月20日、山内一豊の祥月命日(しょうつきめいにち)に再建除幕されたも…
高知城にある千代と馬の像。初代土佐藩主となった戦国大名の山内一豊(やまうちかつとよ)。その妻・千代(ちよ)が、高価な名馬を購入するため、持参金、いわばへそくりを夫に差し出したという有名な逸話がモチーフとなっています。
高知城の本丸にそびえる天守は現存12天守(弘前城、国宝松本城、丸岡城、国宝犬山城、国宝彦根城、国宝姫路城、国宝松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城)のひとつ。望楼型天守の典型で、外観は4重、内部は5階建て…
高知市内中央に位置する高知城は、国の史跡、そして「日本100名城」にも選定されています。書院造の本丸御殿は懐徳館(かいとくかん)として、山内家ゆかりの品や土佐の偉人、歴史資料などを展示、公開。上段の間、二の間、三の間、四…
高知城の本丸と二の丸をつなぐ櫓門が詰門。北面は入母屋造り、廊下門(国の重要文化財)に接続する南面は、本瓦葺きとなり、門内に侵入した敵が簡単に通り抜けられないよう筋違いのからくり門としての役目も果たしています。高知城に現存…
高知城本丸の搦め手(裏側)の防備を固めた門が黒鉄門(くろがねもん)。入母屋造り、本瓦葺きの楼門で国の重要文化財。外観上は漆喰塗の壁が見あたらず、柱、門扉などに多数の小鉄板が打ちつけ、すべて板張りで黒く塗られているので黒鉄…
高知城の表門(大手)にあたる追手門(おうてもん)は、1801(享和元)年築、高知城にある15棟の国の重要文化財のひとつ。入母屋造本瓦葺で石垣を積み上げ、渡櫓をのせた櫓門で、侵入者に三方向から攻撃を加えることができる造り。…