高知県二大名城とは!?

高知県二大名城

藩政時代には山内家の治世が続いた土佐藩。山内一豊(やまうちかつとよ)が築城した高知城が日本100名城に選定、戦国時代に長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が四国統一の拠点とした岡豊城(おこうじょう)が続日本100名城に選定で、この2城が高知県二大名城といえる城です。

高知城|日本100名城

所在地:高知県高知市丸ノ内1-2-1
築城年:慶長6年(1601年)着工、10年後に完成
築城者:山内一豊(やまうちかつとよ)
主な城主:山内一豊、山内豊敷(やまうちとよのぶ=高知大火後の再建に尽力)、山内容堂
史跡:国の史跡
文化財:天守、本丸御殿(懐徳館)、納戸蔵、黒鉄門(くろがねもん)、西多聞(にしたもん)、東多聞(ひがしたもん)、詰門、廊下門、追手門、天守東南矢狭間塀、天守西北矢狭間塀、黒鉄門西北矢狭間塀、黒鉄門東南矢狭間塀、追手門西南矢狭間塀、追手門東北矢狭間塀が国の重要文化財
備考:天守に隣接する本丸御殿(書院)は懐徳館(かいとくかん)として、山内家ゆかりの品や歴史資料などを展示
土佐藩の藩庁

高知城(高知公園)

高知城は、1601(慶長6)年から10年の歳月を費やし、土佐藩の初代藩主・山内一豊(やまうちかつとよ)が築城した平山城。現存する天守は、1727(享保12)年に城下の大火の延焼で焼失後、1753(宝暦3)年に再建されたもの。天守、詰門、多聞

岡豊城(おこうじょう|続日本100名城

所在地:高知県南国市岡豊町八幡
築城年:13世紀~14世紀頃
築城者:長宗我部氏
主な城主:長宗我部国親、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)
史跡:国の史跡
遺構:堀切、空堀が現存
備考:岡豊山(標高97m)に位置する山城
土佐を平定した長宗我部元親の拠点で、岡豊城を拠点に信長・秀吉と対立を続けながら天正13年(1585年)年頃にはほぼ四国を統一
二ノ段のさらに下には「高知県立歴史民俗資料館」が建ち、登城の拠点になっています

岡豊城

南国市岡豊町八幡の通称・岡豊山(標高97m)に位置する山城が岡豊城跡(おこうじょうせき)で、国の史跡。戦国武将・長宗我部氏(ちょうそかべし)の居城だった地。蛇紋岩(じゃもんがん)で成り立つ山は、東から南斜面にかけて急傾斜で南側に国分川が流れ

高知県二大名城とは!?
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