岡豊城跡

南国市岡豊町八幡の通称・岡豊山(標高97m)に位置する山城が岡豊城跡(おこうじょうせき)で、国の史跡。戦国武将・長宗我部氏(ちょうそかべし)の居城だった地。蛇紋岩(じゃもんがん)で成り立つ山は、東から南斜面にかけて急傾斜で南側に国分川が流れ、西から南にかけての山麓は湿田となった天然の要害です。「続日本100名城」選定。

戦国時代の武将・長宗我部氏の居城跡で土佐統一の拠点

空濠跡が残されています
「高知県立歴史民俗資料館」に立つ長宗我部元親像

山頂は展望広場になっており、中心となる曲輪(くるわ)の詰、詰下段、四ノ段、三ノ段、二ノ段、厩跡曲輪、家老屋敷曲輪などの跡や堀切、空堀が残されています。
二ノ段のさらに下には「高知県立歴史民俗資料館」も建っていて、長宗我部氏や国史跡・岡豊城跡に関する資料を展示するほか岡豊城散策の拠点となっています。

長宗我部氏の始祖である長宗我部能俊(ちょうそかべよしとし=秦能俊)は、秦氏の末裔。
もともとは信濃に住んでいましたが鎌倉時代に土佐国長岡郡宗部郷(宗我部郷)の地頭(じとう)となり、長岡郡の宗我部郷からとって長宗我部と名乗りました。
つまり岡豊城は、長宗我部氏のルーツというわけです。

1588(天正16)年、本拠地を大高坂城へ移転。
さらに1591(天正19)年に浦戸城(うらどじょう/現・高知市浦戸にあった高知城の前身となる城)を築いて移るまでこの城が土佐統治の本拠となっていました。

長宗我部元親
第21代の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)は、1574(天正2)年、主家の一条兼定(いちじょうかねさだ)を豊後国臼杵(現・大分県臼杵市)に追放し土佐を平定。
1583(天正11)年、賤ヶ岳の戦いでは、柴田勝家と手を結んで羽柴秀吉(豊臣秀吉)と対立した時の居城もこの岡豊城です。
1584(天正12)年、小牧・長久手の戦いでも、織田信雄や徳川家康らと結んで秀吉に対抗。
さらに岡豊城を拠点に1585(天正13)年頃にはほぼ四国を統一しています。

岡豊城跡 DATA

名称 岡豊城跡/おこうじょうせき
Okojo Castle
所在地 高知県南国市岡豊町八幡
関連HP 南国市公式ホームページ
ドライブで 高知自動車道南国ICから約4km
駐車場 高知県立歴史民俗資料館駐車場(50台/無料)
問い合わせ 南国市生涯学習課TEL:088-880-6569
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

高知県立歴史民俗資料館

2017年12月18日
 

 

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