浦間茶臼山古墳

浦間茶臼山古墳

岡山県岡山市東区浦間にある3世紀末~4世紀前半(古墳時代前期初め)に築造と推測される前方後円墳(国の史跡)が浦間茶臼山古墳(うらまちゃうすやまこふん)。墳丘長は138m。前方部は畑として開墾され、現在はブランコなどの遊具の置かれた公園となっているため往時の形状を留めてはいません。

ヤマト王権の設立に関わった!? 古代吉備の王墓

墳長138m、後円部径81m、後円部高13.8m、前方長61mで後円部は3段築成で、前方部が三味線のバチ形に開く最古形式(出現期古墳)の前方後円墳です。
墳丘には葺石があり、最も古い埴輪の都月型円筒埴輪(とつきがたえんけいはなわ=岡山市都月坂1号墳から出土したことが名の由来の埴輪)も出土。
弥生時代後期の墳丘墓からは、大型の壺や器台が献納されていますが、古墳時代の初期に、墳墓の巨大化とともに壺や器台が巨大化し、特殊器台形埴輪と呼ばれるものになりました。
その大部分が吉備地方から出土しており、弥生土器のなかでもっとも貴重だった壺とそれを飾る器台が、古墳の形成、巨大化で特殊器台となったもの。

明治30年頃の盗掘によって副葬品の大部分は失われていますが、細線式獣帯鏡片、銅鏃、鉄刀、鉄鏃が見つかっています。

昭和44年、宅地開発で消滅の危機に瀕したため、国の史跡となりましたが、陪塚(ばいちょう)と思われる大型の円墳は宅地造成の際に消滅しています。
古墳時代前期初めに築かれた古墳のなかでは、大和・山城(近畿)以外では最大の古墳です(全国第4位)。

東海大学文学部歴史学科考古学専攻・北條芳隆(ほうじょうよしたか)教授に、奈良県桜井市にある箸墓古墳(はしはかこふん/卑弥呼の墓とする説も)のちょうど2分の1スケールの古墳だと指摘され、しかも箸墓古墳の相似形墳のうち、畿内以外では最大。
また特殊器台形埴輪も、吉備地方と箸墓古墳など畿内の最古型式の前方後円墳から出土するもの。

大和と吉備の豪族が同盟していたことが推測でき、さらに古墳時代に巨大な勢力を誇った吉備の始まりを告げる古墳といえます。

ただし、ヤマト王権の成立に係わった吉備の王墓ながら、浦間茶臼山古墳の周辺には母胎となる有力な集落や先行、後続する有力な墳墓がなく、浦間茶臼山古墳の埋葬者は誰なのか、それまでの吉備最大勢力・足守川流域の勢力との関係は、など謎は残されたままになっています。

浦間茶臼山古墳
名称 浦間茶臼山古墳/うらまちゃうすやまこふん
所在地 岡山県岡山市東区浦間
関連HP 岡山市公式ホームページ
ドライブで 山陽自動車道山陽ICから約6.8km
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
箸墓古墳

箸墓古墳

奈良県桜井市にある古墳時代前期の大規模集落である纒向遺跡(まきむくいせき)の南端にある古墳が箸墓古墳(はしはかこふん)。全長280m、3世紀後半に築造されたと推測される日本最古の大型前方後円墳です。卑弥呼(ひみこ)の墓ではないかと考える研究

 

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