幡多廃寺塔跡

幡多廃寺塔跡

岡山県岡山市中区赤田にある古代の寺院跡(国の史跡)が幡多廃寺塔跡(はたたいじとうあと)。岡山県下最大という巨大な塔の礎石(塔心礎)が現存し、古代吉備の豪族であった上道氏(かみつみちうじ)の氏寺跡だと推測されています。発掘調査の結果、金堂と塔の基壇、中門、南門、北門の基礎地形などが判明。

古代寺院の塔の巨大な礎石

巨大な礎石(塔心礎)は、長径2.6m、短径2.1mで、花崗岩製。
礎石(塔心礎)中央部の六角形の凹みは、塔の心柱を立てた柄孔(ほぞあな)で、中心の深い穴は仏舎利を収めるためのもの。
礎石の表面には被熱痕があり、火災によって塔が倒壊した可能性が推測できます。

発掘調査により東西123m、南北128mの寺域、塔・金堂などの基礎部分が検出され、出土した瓦や三彩陶器、円面硯、土器などの遺物から、飛鳥時代後期(7世紀後半)に創建され、奈良時代に最盛期を迎え、平安時代後期(11世紀)に廃寺になったことがわかっています。

周辺には備前国府跡、賞田廃寺跡、居都廃寺跡もあって、古代の備前国の中心だったことがわかります。
また、瓦の分析から賞田廃寺や居都廃寺と密接な関係があったことがわかり、吉備の有力豪族である上道氏の氏寺のひとつと推測されています。

上道氏とは!?

上道氏(かみつみちうじ)は、瀬戸内の要衝を抑えてヤマト王権と対抗した吉備氏の後裔で、備前を掌握した上道氏、備中の下道氏(しもつみちうじ)となどに分かれ、後にヤマト王権への帰属したとされています。
下道真備(吉備真備/きびのまきび)、上道斐太都(かみつみちのひたつ)は、奈良時代に朝廷で重用されています。

幡多廃寺、賞田廃寺、居都廃寺、幡多赤田廃寺、宍甘廃寺が上道氏一族の氏寺とされ、高蔵神社に「大願主国造神主上道康成」という金石文を残しています。



幡多廃寺塔跡
名称 幡多廃寺塔跡/はたはいじとうあと
所在地 岡山県岡山市中区赤田
関連HP 岡山市公式ホームページ
電車・バスで JR高島駅から徒歩10分
ドライブで 山陽自動車道岡山ICから約12km
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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