野島掩体壕

野島掩体壕

神奈川県横浜市金沢区野島町、野島公園の展望台の地下にあるのが、野島掩体壕(のじまえんたいごう)。掩体壕とは、戦闘機を空爆の被害から守るためのシェルターで、野島山の崖をかまぼこ型にくり抜く形で壕が築かれ、コンクリートで補強されています。現存する日本最大級の掩体壕。

野島山を貫いた全長258.5mという長大な掩体壕が現存!

野島掩体壕
野島山(野島公園展望台)西側の入口

横浜大空襲(昭和20年5月29日)が迫る昭和20年3月15日に工事を開始し、突貫工事で6月30日に完成した野島掩体壕。
野島と夏島の間には横須賀海軍航空隊の滑走路があり(海軍航空発祥の地、追浜飛行場)、航空機を隠すための掩体壕が野島、夏島に築かれています(滑走路の跡地は現在の日産自動車追浜工場とテストコース)。

現存する野島掩体壕は、野島をくり抜いたもので、展望台東側、海岸沿いの園路に東側の入口が、そして野球場南側の「あそび場」横に西側の入口が開いています。
全長258.5m(中央の100mは素掘り、それ以外はコンクルートで補強)、幅20m、入口の高さは7mもあり、日本最大級の掩体壕ですが、築くのが遅かったため(完成前に横浜大空襲)、実際には使われずに終戦を迎えています。

内部崩落の恐れがあるため、入口はフェンスで塞がれ、園路から眺めるだけとなっています。
滑走路の周辺には土塁で囲んだだけの無蓋型を含め多数の掩体壕が築かれましたが、現在は多くは失われ、山に穴を開けたものも入口が塞がれています。

追浜は、海軍航空隊発祥の地

横須賀海軍航空隊本部庁舎(昭和7年)
横須賀海軍航空隊本部庁舎(昭和7年)

ライト兄弟の初飛行からわずか9年後の明治45年6月、海軍航空技術研究委員会が発足し、大正元年10月、追浜に海軍飛行場を設置(当初は水上機部隊だったため、海岸に滑走台設置)。
大正元年11月2日には、河野三吉(こうのさんきち)大尉が、カーチス式水上機を使って追浜飛行場で初飛行を行なっています(海軍による初飛行、大正3年には青島要塞爆撃にも参加)。
大正5年4月1日に横須賀海軍航空隊が発足し、海軍航空術研究委員会が解散。
大正7年から陸上飛行場の建設(海岸の埋め立て工事)のを開始し、大正15年3月に追浜飛行場が誕生、航空機の練習を行なった海軍航空発祥の地となっているのが現在の日産自動車追浜工場一帯です。
昭和5年、飛行予科練習制度(予科練)創設。
昭和7年4月には隣接する場所に海軍航空廠(かいぐんこうくうしょう/昭和14年海軍航空技術廠に改称)、さらに昭和9年には航空機メーカーで日本飛行機の工場が建設され、93式陸上中間練習機などを製造していました(日本飛行機は戦後、日本飛行機となりYS11を開発)。

追浜では、新型機の実用実験、戦術の考案、整備教育などを行なっていましたが、戦況の悪化を受けて、昭和19年2月からは、戦闘機(ゼロ戦、紫電など)が実戦配備され、空襲が迫ると掩体壕による飛行機の温存が必要になったのです。
昭和19年頃から空襲対策として施設の地下化が進み、野島など周囲の丘陵部には網の目のように地下壕、掩体壕が掘られています(野島公園駐車場の脇などにその入口があります)。
昭和20年3月には、田浦海軍航空隊が開設され、雷撃兵器整備教育も行なわれています。

跡地に日産自動車の工場があるのは、戦後、進駐軍の自動車を整備する富士自動車の敷地となり、朝鮮戦争の特需で工場を拡大させますが、朝鮮戦争後の人員整理で労働争議が勃発し、昭和34年に会社は継続不能となり、昭和36年に日産自動車追浜工場が操業開始したもの。

野島掩体壕
名称 野島掩体壕/のじまえんたいごう
所在地 神奈川県横浜市金沢区野島町24
関連HP 野島公園・旧伊藤博文金沢別邸公式ホームページ
電車・バスで シーサイドライン野島公園駅から徒歩10分
ドライブで 横浜横須賀道路朝比奈ICから約5km
駐車場 第1駐車場(104台/有料)・第2駐車場(52台/有料)・室ノ木地区臨時駐車場(150台/有料)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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