平原遺跡1号墳(伊都国女王の墓)
福岡県糸島市有田、昭和40年に発見された弥生時代末の墳丘墓が、平原遺跡(ひらばるいせき)。中心となる平原遺跡1号墳は、銅鏡、ユーラシアの交易路でもたらされたと推測されるガラス玉などの出土品から『魏志倭人伝』に記載される伊…
福岡県糸島市有田、昭和40年に発見された弥生時代末の墳丘墓が、平原遺跡(ひらばるいせき)。中心となる平原遺跡1号墳は、銅鏡、ユーラシアの交易路でもたらされたと推測されるガラス玉などの出土品から『魏志倭人伝』に記載される伊…
福岡県糸島市にある三雲・井原遺跡の一部として国の史跡に指定されるのが、三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)。周溝をもつ墳丘墓(方形周溝墓)で、銅鏡(前漢時代の鏡)など豊富な副葬品を有する甕棺墓2基が出土することか…
福岡県糸島市にある弥生時代後期の伊都国(いとこく)国王の墳墓ともいわれる遺跡が、平原遺跡(ひらばるいせき)で、平原歴史公園として公開されています。『魏志倭人伝』に記載の伊都国は、末廬国(まつろこく)から陸を東南に500里…
長崎県壱岐市芦辺町にある国の特別史跡に指定される遺跡が原の辻遺跡(はるのつじいせき)。対馬(つしま)とともに、古くから大陸との交流の拠点として重要な役割を果たしてきた壱岐島(いきのしま)。原の辻遺跡は、『魏志倭人伝』に登…
福岡市西区野方にある弥生時代後期から古墳時代にかけての集落跡が野方遺跡。周辺は野方台中央公園として整備され、野方遺跡住居跡展示館が建てられています。遺跡は、『魏志倭人伝』にも記載の古代国家、伊都国のあった糸島平野と奴国(…
佐賀県唐津市のJR唐津線山本駅から松浦川を渡った場所にある久里双水古墳(くりそうずいこふん)。古墳というより2つの小山といった感じで、その巨大さに驚くほど。唐津市の久里と双水の境にあり、周囲は久里双水古墳公園として整備さ…
鴻臚館(こうろかん)は、奈良・平安時代、筑紫(北九州)にあった古代の外交窓口のひとつで、平安京、難波、筑紫の3ヶ所あったなかでは最大規模の施設。福岡市の福岡城跡の一角にある鴻臚館跡展示館の館内では、発掘状態のままに保存さ…
福岡県春日市にある、弥生時代の遺跡が須玖岡本遺跡。116基の甕棺墓などが発見されていますが、王墓の上石(うわいし)と推測される大石の下の甕棺墓(かめかんぼ)からおよそ30面の中国の前漢鏡、また銅剣2本、銅矛5本、銅戈1本…
『魏志倭人伝』などに登場する奴国(なのくに)。その中心とされるのが福岡県春日市の奴国の丘歴史公園(須玖岡本遺跡)一帯。その一角に建つのが春日市奴国の丘歴史資料館で、春日市内の遺跡から出土した埋蔵文化財や、昭和初期の農具を…
日本の稲作は縄文時代晩期に九州北部から広まったというのが定説ですが、唐津市街の南西部から発掘された菜畑遺跡(なばたけいせき)は日本の稲作発祥の地。菜畑遺跡のビジターセンターである末廬館は、遺跡から発掘された炭化した米、稲…
今回はGoogleマップを使って『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)の旅を試みます。今回は、そのパート2で、一支国・末盧国に続いての九州上陸編。 古代史ミステリーの旅を続けましょう。
今回はGoogleマップを使って『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)の旅を試みます。『魏志倭人伝』は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。3世紀末に西晋の陳寿が記した3世紀の日本を知る貴重な…