『魏志倭人伝』に記された、一支国・末廬国の都へ!

今回はGoogleマップを使って『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)の旅を試みます。『魏志倭人伝』は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。3世紀末に西晋の陳寿が記した3世紀の日本を知る貴重な史料です。鮮半島から対馬を経て「邪馬台国」(やまたいこく)への道筋を解説する部分は、邪馬台国がどこにあったのかを知る貴重な文書です。

まずは「一支國」に上陸だ

最初に登場するのが對馬國(現在の長崎県対馬市)。
対馬の表記に関しては、現存する最古の版である紹煕(しょうき)本では「對海國」、紹興(しょうこう)本では對馬國となっています。奈良時代の律令制が敷かれた際に対馬国となりました。
『古事記』の建国神話には、最初に生まれた島々(大八洲)の1つとして「津嶋」と記されています。日本海に浮かぶ対馬は、明治以前の日本海交易ルートにおいて(明治時代までは日本の物流は、日本海側の方が多かったことが判明しています)、重要な経由地となっていました。古代にも大陸への玄関口として機能していました。

『魏志倭人伝』の狗邪韓国(朝鮮半島南部)からの記述は、「始度一海千余里 至対馬国 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離」。(はじめに一つ海を渡る。一千余里。対馬国に至る。大官は卑狗(ひこ、ひく)で、副官は卑奴母離(ひなもり)。さらに、海に囲まれた島で、山が険しく、深い森が多く道路は獣道のようで、人家は千余戸。田んぼはなく。海産物を食べて自活し、船に乗って南や北に海を渡って穀物を買い入れている、と記されています。

この対馬国の王都は確定していません。
現在までの発掘調査では、三根遺跡群、山辺遺跡(やんべいせき)が王都らしい可能性がもっとも高い遺跡となっています。
弥生前期~後期(紀元前3世紀~紀元3世紀頃)の大規模な集落の跡で、周辺には弥生後期の墳墓なども多く、青銅器の副葬品も多数出土しています。
対馬西岸の三根湾に注ぐ三根川流域にあり、出土品からも大陸との交流を示す遺物が多数あるのです。

さらに對馬國から『南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國』(南に瀚海と称する海を渡って千余里で一大國に至る)と記された一大國は、一支國(いきこく)、つまりは現在の壱岐(いき)にあたると推測されています。というわけでまずは壱岐島(長崎県壱岐市)に上陸しましょう。
対馬から壱岐は『魏志倭人伝』には「千餘里」と記されていますが実際は約75km。つまり『魏志倭人伝』の対馬→壱岐間の1里は約75mということになります。
一支國(一支国)の王都は、原の辻遺跡だと特定されています。
国の特別史跡に指定される原の辻遺跡は、登呂遺跡(静岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)と並ぶ、弥生時代の重要遺跡のひとつです。

『魏志倭人伝』によれば、
「方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴」
(広さは三百里四方で、竹や木の茂みが多く、三千の家が建っている。田畑は少しあるが、耕作地が不足しているので南北に海を渡って食料を買い入れている)。
と、3000もの家が建ち並ぶ発展ぶりがわかります。

一支國王都にはこんな湊があった
一支國王都にはこんな湊があった
原の辻遺跡

原の辻遺跡

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続いて末盧國へ

さらに『魏志倭人伝』では海を渡って邪馬台国を目指しています。

「渡一海千餘里、至末盧國」(海を渡って千余里いくと末盧國に至る)。
この末廬国(まつらこく)は長崎県の松浦郡(まつらのこおり)と推測されています。
佐賀県唐津市の菜畑(なばたけ)遺跡(唐津市菜畑松円寺3355-1)は「日本の稲作発祥地」。
古くから大陸との交流があった唐津市が、末盧國のあった地と推測されていますが、その王都は同じ唐津市にある千々賀遺跡とする説が有力です。2~3世紀頃の拠点集落であることが明白で、ちょうど『魏志倭人伝』の記された時代と一致するからです。さらに王墓は桜馬場遺跡であることがわかってきました。
久里双水古墳(くりそうずいこふん/唐津市久里)は、全長108.5mという巨大な前方後円墳ですが、3世紀末から4世紀頃の築造と推測され、古代の末盧國の王様の墓(首長墓)とも推測できます。

日本最古の稲作発祥の地・菜畑遺跡に設置の博物館「末盧館」。菜畑遺跡の出土品や資料が展示されている
日本最古の稲作発祥の地・菜畑遺跡に設置の博物館「末盧館」。菜畑遺跡の出土品や資料が展示されている
盤龍鏡や管玉も出土した久里双水古墳
盤龍鏡や管玉も出土した久里双水古墳

壱岐からもっとも近い九州本土は唐津ですが、壱岐印通寺港から唐津東港までは約40km。今回の「千餘里」は対馬→壱岐間の半分ということになりますから、この「千餘里」は「海を越えてかなりの距離」という風に解釈するのがいいのかもしれません。

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