全国各地に戦後建てられたコンクリート造りの天守閣があります。南房総・館山市、市街地の外れの山上にそびえる館山城は、実は、曲亭馬琴(きょくていばきん)の『南総里見八犬伝』をテーマにした博物館。見ごたえある展示ですが、実は建物自体は、犬山城を真似たという模擬天守です。
もともと館山城には天守は存在しない!

館山城は、戦国時代末期の天正8年(1580年)、安房国の大名、里見義頼(さとみよしより)が築城した中世の城。
天正5年(1577年)、父・里見義弘は相模国・小田原(現・神奈川県小田原市)を拠点とする北条氏政(ほうじょううじまさ)と和睦(房相一和)。
里見義頼は北条氏政の娘・鶴姫を正室に迎え、鶴姫が死去すると北条氏政の妹・菊姫を後妻にして北条氏との同盟を強化、天正8年(1580年)には上総国まで手中に収めています。
里見義頼の安房国・上総国支配の拠点となったのは、岡本城(現・千葉県南房総市富浦町豊岡)で、館山城ではありませんでしたが、天正19年(1591年)、里見義頼の子、里見義康(さとみよしやす)が居城を館山城に移していることから、城下の湊とともに城郭整備が行なわれたと推測できます。
江戸湾(東京湾)を一望し、対岸に相模国を睨むという絶好の地勢で、ここに天守がそびえたならさぞかし勇姿が印象的だったと思われます。
残念ながら発掘調査からは天守の土台、礎石などは見つかっていないので、城主の居館を中心とした中世的な城郭で、天守はなかったというのが定説。
里見義康は、織田信長の姪を夫人とするなど織田・豊臣政権に近づいて勢力を維持し、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦では徳川家康に与して、館山藩を立藩しています。
慶長19年(1614年)、里見氏は改易され、館山城は廃城に。
後に館山藩が再立藩された際には、山麓に陣屋を築いて、山上の城は廃れたままとなりました。
「博物館+展望台」として利用価値大!

館山城の発掘調査から出土しているのは、高層掘立柱建物跡のみ。
現在の館山城は、昭和57年に建設されたコンクリート造り、複合式望楼型3重4階の天守で館山市立博物館の一部、「館山城(八犬伝博物館)」。
同じ城跡公園内にある本館では、史実の里見氏をメインに展示するのに対し、「館山城(八犬伝博物館)」では曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を詳しく解説しています。
注意したいのは、あくまで天守があったという史実もなく、建物も犬山城をモデルにして歴史的な裏付けがない模擬天守ということ。
「館山城(八犬伝博物館)」の公式HPにもその点の説明は一切省略されているので、案外、「天守があった」と誤解する人も多いのです。
それでも天守最上層からの眺めは見事で、博物館+展望台と考えれば、訪れる価値は十分にあります。

| 確実に誤解を生む! まさかの天守閣(1) 館山城|千葉県 | |
| 名称 | 館山城/たてやまじょう |
| 所在地 | 千葉県館山市館山351-2 |
| 関連HP | 館山市公式ホームページ |
| ドライブで | 富津館山道路富浦ICから約8.5km |
| 駐車場 | 50台/無料 |
| 問い合わせ | 館山市立博物館 TEL:0470-23-5212/FAX:0470-23-5213 |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 | |













