東京都台東区根岸、JR鶯谷駅前に鎮座するのが元三島神社。由来書によれば弘安の役(1281年=九州に元・朝鮮連合軍が攻め寄せた二度目の元寇)の際に伊予水軍の武将・河野通有(こうのみちあり)が、瀬戸内海の大三島に浮かぶ大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の分霊を勧請して創建(創建時は三島神社)と伝わる古社です。
東京・根岸にある東京を代表する「三島神社」
河野通有は、九州に出陣の折、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に必勝祈願を行なったところ武功赫々として帰国。
そこで、上野山中にあった河野氏の館に分霊を勧請して三島神社を創建したのが始まりと伝えられています。
河野通有は愛媛県ではかなり有名な武将で、伊予国久米郡石井郷(現在の愛媛県松山市石井地区)出身。
元寇の際には博多湾に築いた最終防衛線の石塁の海側に軍船を浮かべ、高麗(こうらい)の将を討ち取る武勲もあげています。
伊予水軍の武将の館が、なぜ上野山中にかといえば、河野通有は江戸の豪族で鎌倉幕府御家人の江戸重長(えどしげなが=武蔵江戸氏2代当主で、三浦半島の衣笠城合戦の際に三浦義明を討って落城させています)の娘を妻にしているから。
江戸重長は現在の上野の山あるいは皇居(江戸城)本丸、二の丸あたりに館を構え、日比谷入江を江戸湊として隅田川などの水運を使って財を築いていました(江とは隅田川、戸は玄関を意味している言葉)。
つまりは河野通有の館があった武蔵国豊島郡金杉村の鎮守が現在の元三島神社というわけなのです。
伊予水軍の末裔(まつえい)という家柄の正岡子規も近くに住み、「木槿(むくげ)咲て 絵師の家問ふ 三嶋前」という碑が社前に立っているのでお見逃しなく。
祭神は、大山祇命(おおやまづみのみこと)。
ちなみに元三島と呼ばれるのは、江戸時代に三島神社のあった上野忍ヶ岡(うえのしのぶがおか/注・上野という呼び名は江戸時代に伊賀上野を領していた藤堂高虎らの屋敷が築かれて以降)が東叡山寛永寺の寺地になった際、三島神社は、浅草小揚町(現・台東区寿4-9-1)に遷座。
この地に現在も本社三島神社がありますが、金杉・根岸の氏子から遠いのでは参拝に困るので、もともとの旧地に近い地に建てられた根岸の神社を元三島と呼び分けているため。
注目は御朱印で五節句や、5月の例大祭に限定の朱印が用意されています。
五節句とは、人日(じんじつ=1月7日)、上巳(じょうし=3月3日)、端午(たんご=5月5日、七夕(しちせき=7月7日)、重陽(ちょうよう=9月9日)です。
元三島神社 | |
名称 | 元三島神社/もとみしまじんじゃ |
所在地 | 東京都台東区根岸1-7-11 |
関連HP | 台東区公式ホームページ |
電車・バスで | JR鶯谷駅から徒歩すぐ |
問い合わせ | 元三島神社 TEL:03-3873-4976/FAX:03-3873-6535 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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