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汐見坂(皇居東御苑)

江戸城の本丸と二の丸をつなぐ坂道。江戸城築城の際には、江戸湾の日比谷入江が目の前まで迫り、坂の途中から海が見えたのが名の由来です。往時には坂の上には、汐見坂門がありました。また坂の横には白鳥濠があって、防御が堅いのがよくわかります。

江戸時代のはじめに、すでに海は見えなくなっていた!?

皇居東御苑園内図

天和年間(1681年〜1683年)頃に歌学者・戸田茂睡(とだもすい)が著した江戸の地誌『紫の一本』(むらさきのひともと)の上巻に記載の梅林坂の項で、
「此所より海よく見へ、汐のさしくる時は波ただ爰元へ寄るような故塩見坂といふ。今は家居にかくされて見へず」
と記しているので、すでに築城後数十年で、日比谷入江の埋め立てが進み、家並みが並んでいたことがわかります。

つまり、海が見えたのは築城当初のわずかな時だけです。
平川(現在の神田川)は、家康の江戸城築城以前は、日比谷入江に流れ込んでいました。

1620(元和6)年、2代将軍・徳川秀忠の時代に、平川を天然の濠(ほり)として活用する工事を開始。
小石川から南流していた流路を東に付け替え、御茶ノ水に巨大な人工の谷を開削します。
仙台藩初代藩主・伊達政宗が工事を担当した仙台濠を掘った残土などで、日比谷入江を埋め立てて、江戸城眼の前の一等地を大名屋敷の敷地としたのです。

これにより、海が見えなくなったわけですから、1620(元和6)年頃からすでに「汐見」ではなかったことになります。
大名屋敷の敷地は今ではビル群になっているので、汐見坂から振り返ると、林立するビルを眺望します。

逆にいえば、眺めるビルあたりはがかつての大名屋敷というわけです。

ちなみに、梅林坂と汐見坂の間の石垣は平成14年〜17年に大規模な修復が行なわれていますが、その際に、明暦の大火の際の大量のがれきとともに、1637(寛永14)年に築かれた東照宮の遺構が発見されています。この東照宮は、1654(貞応3)年、紅葉山の東照宮に合祀されています。

横には白鳥濠が
振り返ると大手町のビル群

江戸城内図に見る 汐見坂

汐見坂の横にある濠は、現在、白鳥濠と呼ばれていますが、この絵図には白魚濠と記されています。

汐見坂(皇居東御苑)
名称 汐見坂(皇居東御苑)/しおみざか(こうきょひがしぎょえん)
所在地 東京都千代田区千代田1-1
関連HP 宮内庁公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ竹橋駅から徒歩10分。東京メトロ大手町駅から13分。JR東京駅から徒歩20分
駐車場 なし/北の丸公園第一駐車場(144台・有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 宮内庁 TEL:03-3213-1111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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