池波正太郎の人気小説、そして人気時代劇『鬼平犯科帳』の主人公・長谷川平蔵。実は、モデルとなった人物が実在しています。それが、長谷川宣以(はせがわのぶため)で、家督を相続してからは、長谷川平蔵と名乗っています。その菩提寺が四谷寺町の戒行寺。境内に長谷川平蔵供養碑が立っています。
長谷川平蔵は実在し、その菩提寺が四谷の戒行寺
火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)の長である火付盗賊改役を勤めたというのも実話。
長谷川宣以は、延享2年(1745年)、400石の旗本である長谷川宣雄の長男として、江戸赤坂築地中之町(現・東京都港区赤坂6-12)の拝領屋敷で生誕。
寛永3年(1764年)に鐵砲洲築地湊町に移り、さらに明和元年(1764年)に本所三ツ目通り菊川町に移っています。
幼名は銕三郎(てつさぶろう/銕は鉄の旧字)、あるいは銕次郎(てつじろう)で、「本所の銕」と恐れられたというのも記録にある実話です。
明和5年(1768年)12月5日、23歳の時に江戸幕府10代将軍・徳川家治に御目見しています。
父・長谷川宣雄は火付盗賊改役の時、目黒行人坂の放火犯を捕らえるなど活躍し、京の西町奉行へと栄転しますが、わずか10ヶ月で急逝。
長谷川平蔵は江戸に戻り、安永3年(1774年)、31歳で江戸城西の丸御書院番士(将軍世子の警護役)に任ぜられたのを振り出しに、出世街道を歩みます。
天明7年(1787年)9月9日、42歳で火付盗賊改役に就任。
寛政の改革で人足寄場(犯罪者の更生施設)の建設を立案するなど、功績を挙げ、さらに寛政元年(1789年)4月、関八州を荒らしまわっていた大盗、神道(真刀・神稲)徳次郎一味を一網打尽に。
寛政3年5月3日(1791年6月4日)には、江戸を荒らした盗賊集団の首領・葵小僧を捕縛し、斬首と江戸庶民が喝采を送る活躍をみせました。
寛政7年(1795年)、8年間勤めた火付盗賊改役の御役御免を申し出て、裁可されたわずか3ヶ月後に死去しています。
菩提寺は戒行寺ですが、長谷川平蔵のほか、52代・安部式部(安部信旨)、103代・桑嶋政恒、107代・山岡景之、139代・長谷川宣雄、146代・菅沼定亨と合計6人の火附盗賊改が葬られています。
長谷川平蔵供養碑(戒行寺) | |
名称 | 長谷川平蔵供養碑(戒行寺)/はせがわへいぞうくようひ(かいぎょうじ) |
所在地 | 東京都新宿区須賀町9-3 |
電車・バスで | JR、東京メトロ丸ノ内線・南北線四谷駅から徒歩10分 |
ドライブで | 首都高速4号新宿線外苑出口から約1km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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