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小野神社

小野神社

東京都多摩市一ノ宮1丁目に鎮座する古社が小野神社。武蔵国の一之宮で、平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載されている「武蔵国多磨郡 小野神社」ではないかと推測される社です。中世には後北条氏、太田道灌の尊崇を得、江戸時代には一宮大明神と称していました。

古代の武蔵国の歴史を秘める武蔵国一之宮

随神門

武蔵国一之宮については大宮(埼玉県さいたま市)の氷川神社も一之宮としていますが、武蔵国府跡に建つ武蔵国総社の大國魂神社(江戸時代までは一之宮から六之宮の祭神を祀るため六所神社と称していました)では、一之宮の祭神は小野神社を祀っています。
武蔵国東部は古代に、无邪志国造(むざしのくにのみやつこ)が支配する无邪志国(むざしのくに)でした。
後に无邪志国、知々夫国(現在の埼玉県秩父地方)が統一された際に氷川神社が一之宮になったとも考えられ、諸説あって定かでありません。

府中市にも小野神社があり、やはり一之宮ではないかとも考えられていますが、多摩川の氾濫に伴う水害によって遷座されて本社と分社の2社になったとも推測できます。

祭神は、武蔵国開拓の祖神である天ノ下春命(あめのしたはるのみこと)、罪・穢れを川から海へ流す瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)ほか、合計8柱。

武蔵七党で最大勢力を誇った横山党を率いた横山氏は、小野篁(おののたかむら)から数えて8代目の後裔・小野義孝(横山義孝)が、武蔵国横山庄(現在の八王子市元横山町)を領有して横山を名乗ったのが始まり(ただし、後世の創作とする説も)。
小野義孝は、天慶2年(939年)、武蔵介(むさしのすけ=朝廷から武蔵国に派遣された官吏で、4等級のうち守に次ぐ2番目の要職)に任命され、勅旨牧(ちょくしまき=朝廷直営の牧場)・小野牧の別当(管理官)となりますが、任期が終わっても横山の地に残り、横山党という武士団の祖となったのです。
つまり、小野神社一帯が横山党の拠点だったと推測できます。

小野神社
名称 小野神社/おのじんじゃ
所在地 東京都多摩市一の宮1−18−8
関連HP 小野神社公式ホームページ
電車・バスで 京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩6分
ドライブで 中央自動車道国立府中ICから約4.6km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 小野神社 TEL:042-338-1151/FAX:042-338-1151
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大國魂神社

律令時代の武蔵国の国府があった場所に鎮座し、国司が参拝した総社を前身とするのが東京都府中市の大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)。5月5日の例祭を中心に執り行なわれる『くらやみ祭』も国司祭をルーツとしています。厄除け祈願、厄払いにご利益がある

 

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