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境浄水場

境浄水場

東京都武蔵野市にある東京都水道局の浄水場が、境浄水場。東京市の水道需要の切迫を受けて、大正13年3月30日に通水を開始。村山貯水池(多摩湖)、山口貯水池(狭山湖)の完成を受けて(昭和2年)、両貯水池の水が導水され、日本で最大規模の緩速ろ過方式の浄水場となっています。

村山貯水池(多摩湖)、山口貯水池(狭山湖)の水をろ過

村山貯水池(多摩湖)、山口貯水池(狭山湖)は連絡管でつながり、東京都の水源として一体運用されています。
その水が送られるのが、境浄水場と東村山浄水場。
羽村取水堰から、自然流下で導水されていますが、導水管の直径は、2.9mという巨大なもの。
導水管の上部は、東京都道253号(保谷狭山自然公園自転車道線)、通称「多摩湖自転車歩行者道」になっていて、東京を代表するサイクリングコース、そして直線道路になっています。

境浄水場がカバーするのは、千代田区、渋谷区、世田谷区、港区、目黒区などの水道で、11kmほど下流の和田堀給水所が配水池です。
境浄水場と和田堀給水所を結ぶ水道道路が井の頭通りで、通りの下にも水道管が埋設されています。

境浄水場からJR武蔵境方面へと弧を描いて伸びる緑地帯(本村公園)は、境浄水場建設に必要な砂利、砂、セメントなどの資材を運搬するために、大正10年に敷設された境浄水場専用線の跡。
セメントなどの建設資材は青梅鉄道(現・青梅線)・中央本線経由で武蔵境駅まで運ばれ、専用線で運び込まれたのです。
昭和18年〜終戦までは、北側にあった中島飛行機武蔵製作所への引込線としても使われました。
戦後は、米軍接収後、東京スタジアムグリーンパーク野球場(現在の武蔵野中央公園一帯)となり、境浄水場専用線の途中から分岐線・武蔵野競技場線をつくり、三鷹駅から武蔵野競技場前駅まで旅客輸送を行なっていました。

浄境浄水場完成後も濾過砂運搬用に使用され、昭和46年12月に廃線に。
東京にある、知られざる廃線跡のひとつです。

ちなみに緩速ろ過とは、細かな砂の層に1日4~5mというゆっくりとした速さで水を浸透させ、砂層に存在する微生物の分解作用によって水の中の浮遊物などを取り除くろ過方法。
薬品を使わず、自然にやさしい浄水のため(山の湧き水に近いかたち)、おいしい水を生み出すことができ、東京都水道局の「安全でおいしい高品質な水道水」は、こうしたろ過方法にも支えられています(急速ろ過に比べて、嫌な匂い、味が減少)。

境浄水場
名称 境浄水場/さかいじょうすいじょう
所在地 東京都武蔵野市関前1-8-37
電車・バスで JR・西武鉄道武蔵境駅から徒歩15分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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