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善福寺公園・遅の井の滝

善福寺公園・遅の井の滝

東京都杉並区にある都立公園が、善福寺公園。武蔵野三大湧水池に数えられる善福寺池(上の池)の畔にあるのが遅の井の滝(おそのいのたき)で、善福寺池の湧水のひとつ。残念ながら現在は自然湧水ではなく、地下水をポンプで汲み上げて流して復元していますが、23区内に残る貴重な滝です。

善福寺池の水源となる滝には、源頼朝伝説が残る

文治5年(1189年)、源頼朝が奥州征伐に向かう途中、遅野井(おそのい)の地に宿営、井草八幡宮に八幡大菩薩(八幡神)を勧請して戦勝を祈願(それ以前は春日社でした)。
その際、頼朝自ら弓の筈(はず)で土を7ヶ所掘ると、水が湧き出ましたが、水の出を「今や遅し」と待ったところから「遅の井」と命名されたという伝説があります。
明治時代まで、井草八幡宮も遅野井八幡宮と呼ばれ、井草八幡宮の展示館にある社宝『板絵着色遅ノ井伝説図』(杉並区の文化財)にも頼朝伝説が描かれています。

源頼朝は、義経追討の際、軍を大手軍、東海道軍、北陸道軍の3軍に分け、自らは大手軍となって鎌倉街道中道を進軍(7月19日に鎌倉を出陣)しているので、夏の日照りから馬を休めるためにも、善福寺池で部隊を休めた可能性はあります。

以来、雨乞いの神として尊崇され、昭和24年まで雨乞いの行事が続いていました。

善福寺池の中島にある市杵島神社も『善福弁才天略縁記』によれば、建久8年(1197年)、江ノ島から江島弁才天を勧請したと記されています。
江ノ島の江島弁才天は、鎌倉時代の史書『吾妻鏡』に、寿永元年(1182年)、源頼朝が勧請と記されるので、市杵島神社も源頼朝の奥州征伐と関係しているのかもしれません。
もちろん後世の創作伝説という可能性もありますが、水の湧き出る地に、雨乞いの神として弁才天を勧請するのは、井の頭池などと同じで、中世の風習です。

遅野井の湧水を水源としていた善福寺川は、この遅の井の滝が源流ということから、かつては遅野井川と呼ばれていました。
昭和5年、当時の井荻町(現・杉並区の一部)が善福寺池周辺の地下水を利用して水道を開設するため、浄水場を建設、昭和7年、井荻町が東京市に編入されたことにより、水道も「東京市水道局」へ移管されていますが、これが現在も地下水を水源とする東京都水道局杉並浄水所のルーツで、遅の井の滝近くにあります(地下10mほど掘り下げると水源が確保できます)。

善福寺公園・遅の井の滝
名称 善福寺公園・遅の井の滝/ぜんぷくじこうえん・おそのいのたき
所在地 東京都杉並区善福寺3-18-1
関連HP 東京都公園協会公式ホームページ
電車・バスで 京王井の頭線西永福駅、浜田山駅から徒歩15分
駐車場 なし
問い合わせ 善福寺川緑地サービスセンター TEL:03-3313-4247
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

井草八幡宮

東京都杉並区の善福寺公園東側、善福寺川の源流部に鎮座する古社が、井草八幡宮。平安時代に春日社(春日権現)として創建されましたが、源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を攻める際に、戦勝祈願を行ない、八幡宮になったもの。中世には武神(遅野井八幡宮)として

善福寺公園

東京都杉並区にある善福寺川の水源となる善福寺池を中心とした8haに及ぶ都市公園が、善福寺公園。都立公園で、善福寺池の湧水(2本の井戸で汲み上げ)は、善福寺公園の南西にある東京都水道局杉並浄水所の水源としても活用されています。周囲は武蔵野の森

善福寺公園・ボート場

東京都杉並区にある都立公園が、善福寺公園。武蔵野三大湧水池に数えられる善福寺池を中心とした公園ですが、善福寺池は善福寺川の源流となる上の池、下流側の下の池に分かれており、ボート場があるのは、湧水池である上の池の南岸。昭和13年開場という歴史

善福寺池

東京都杉並区にある都立公園が、善福寺公園。武蔵野三大湧水池に数えられる善福寺池を中心とした公園ですが、善福寺池は善福寺川の源流となる上の池、下流側の下の池に分かれており、武蔵野三大湧水池に数えられるのは、ボート遊びができる上の池で、下の池は

 

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