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摺鉢山古墳

摺鉢山古墳

東京都台東区上野公園、上野恩賜公園の東京文化会館近くにあるのが、摺鉢山古墳(すりばちやまこふん)。園内図に摺鉢山と表記された部分が、実は前方後円墳と推測される摺鉢山古墳で、上野台地に形成された古墳群の中心となる墳丘ですが、改変されて往時の姿はありません。

上野の山には実は古墳が集中!

現存する墳丘は、全長70m、後円部の直径40mですが、西に前方部を向けた前方後円墳で、往時には100mを超えるような大きな古墳だったと推測できます。
五条天神、さらに移転後に清水観音堂が建てられたことで前方部が失われています。

東京文化会館、東京国立博物館にかけて、数多くの円墳(桜雲台古墳、蛇塚古墳、表慶館古墳)が築かれていましたが、建物の建設で破壊されています。
桜雲台古墳は東京文化会館、蛇塚古墳は東京都美術館、表慶館古墳は東京国立博物館表慶館の建設で失われています。

温暖な縄文時代に、今から海面が3m〜4mほど高かったという縄文海進時代にも陸地だったのが上野台。
台東区から出土する遺物は、旧石器時代の遺跡は上野台地に集中し、縄文時代の貝塚が発見されていることから、縄文海進期には台地周辺が海だったことがわかります。
古墳時代から平安時代の遺構も上野台地に集中しているのです。

上野台地に築かれた古墳時代の首長墓(前方後円墳、円墳)は、江戸時代に寛永寺が建立され、その境内地となったことで改変され、さらに明治維新後に公園化されたことで、摺鉢山古墳を除いて失われてしまったのです。
古代史ファンのなかには、大仏パゴダ(上野大仏)や時の鐘の小山も墳丘でないかと推測する人もいますが、発掘調査が行なわれていないため定かでありません。

摺鉢山古墳
名称 摺鉢山古墳/すりばちやまこふん
所在地 東京都台東区上野公園5-20
関連HP 台東区公式ホームページ
電車・バスで JR上野駅から徒歩5分
ドライブで 首都高速上野ランプから500m
駐車場 上野恩賜公園第一駐車場(100台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 台東区生涯学習課 TEL:03-5246-5828/FAX:03-5246-5814
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

寛永寺・清水観音堂

徳川3代(家康・秀忠・家光)に仕えた天海大僧正は、2代将軍・徳川秀忠から上野の山を寺地として与えられると寛永2年(1625年)、寛永寺を創建。寛永8年(1631年)に五重塔とともに創建されたのが清水観音堂で、京の清水寺を思わせるような懸造(

上野恩賜公園

総面積は53haにわたる広大な上野恩賜公園。江戸時代までは徳川家の菩提寺、東叡山寛永寺の境内で、多くの堂塔、そして塔頭が建ち並んでいた境内でした。不忍池に弁天堂や、上野動物園の中に五重塔があるのもそのため。明治6年に日本初の都市公園に指定。

上野恩賜公園・彰義隊戦死者碑

東京都台東区、江戸時代には東叡山寛永寺の境内地だった上野恩賜公園、西郷隆盛像近くにあるのが彰義隊戦死者碑。慶応4年5月15日(1868年7月4日)の彰義隊と新政府軍が戦った上野戦争で戦死した彰義隊士を荼毘に付したのが、西郷像のある山王台です

上野恩賜公園・ボードワン博士像

東京都台東区、上野恩賜公園内にある銅像のひとつが、ボードワン博士像。幕末の慶応4年(1868年)、上野戦争(戊辰戦争)によって荒廃、明治新政府が病院建設地と決めていた上野の山を、近代的な公園にすべきと提言した長崎医学校教官でオランダ人医師ボ

西郷隆盛像

台東区上野の上野公園に建っている「上野の西郷さん」は、西郷隆盛像ではもっとも古い銅像。西南戦争で、明治政府に反旗を翻した西郷は、いわゆる朝敵でもあったため、明治22年、大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷の「逆徒」の汚名が解かれたのをき

上野恩賜公園・小松宮彰仁親王像

東京都台東区、上野恩賜公園のほぼ中央に立つのが、小松宮彰仁親王像(こまつのみやあきひとしんのうぞう)。幕末の鳥羽・伏見の戦いでは征討大将軍に任命され、戊辰戦争では奥羽征討総督として指揮を執ったのが小松宮彰仁親王。明治45年2月に上野公園内に

上野恩賜公園・グラント将軍植樹碑

東京都台東区、上野恩賜公園のほぼ中央、小松宮彰仁親王像(まつのみやあきひとしんのうぞう)近くにあるのが、グラント将軍植樹碑。明治12年8月25日、来日中のグラント将軍が上野公園で歓迎会が開催された際、植樹したことを記念したグラント将軍のレリ

上野恩賜公園・不忍池ボート場

東京都台東区、上野恩賜公園の不忍池(いのばずのいけ)にあるのが、不忍池ボート場。不忍池は、弁天島を中央に、北側の鵜の池、ハスが茂る南側の蓮池、西側(不忍通り沿い)のボート池に分かれています。ボート乗り場はボート池の弁天島側にあり、不忍池辯天

上野恩賜公園の桜

江戸時代、家康に信任が厚かった天海僧正が吉野山から東叡山寛永寺創建の後に移植した山桜が起源という上野恩賜公園の桜。「東都第一の花の名所」といわれましたが当時の桜は山桜です。現在は公園中通りなどにソメイヨシノを中心に800本の桜が植栽され、「

大仏パゴダ(上野大仏)

上野公園に建つ、明治5年創業の西洋料理の草分け上野精養軒。その近くにあるのが大仏パゴダ。関東大震災で崩れ落ちるまで、この大仏山と称する地には大仏が鎮座していました。現在では薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所があり、大仏の顔面部のみ保存展

 

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