東京都台東区谷中5丁目にある臨済宗国泰寺派の寺が、全生庵(ぜんしょうあん)。明治16年、山岡鉄舟(山岡鉄舟)が明治維新に殉じた人々の菩提を弔うために創建した寺で、境内には山岡鉄舟の墓もあります。本尊は、江戸城の守り本尊だった葵正観世音菩薩。
「幕末の三舟」山岡鉄舟が創建した鉄舟ゆかりの寺
「幕末の三舟」(ばくまつのさんしゅう/勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)のひとり、山岡鉄舟は、幕末に徳川慶喜の使いとして駿府で西郷隆盛に面会するなど、幕府方として江戸城無血開城に尽力します。
維新後は、若き徳川家達(とくがわいえさと)に従い、駿府に入りますが、廃藩置県後に静岡県権大参事、茨城県参事、伊万里県権令を歴任。
西郷隆盛に請われて、明治5年、宮中に入り、侍従として明治天皇に仕えるようになります。
明治11年、明治天皇の北陸行幸に随行した際、国泰寺(現・富山県高岡市)54世・越叟義格(えっそうぎかく)と親しくなり、当時廃仏毀釈の荒波で存亡の危機にあった臨済宗国泰寺派大本山・摩頂山国泰寺の窮状を救うため、『国泰寺千双屏風』を大量に揮毫し奉納しています。
その縁があって、越叟義格を開山に迎えて谷中に全生庵を創建。
明治21年7月19日、胃癌で没し、全生庵で葬儀が行なわれ、墓所も境内に築かれています(享年53)。
戒名は、全生庵殿鉄舟高歩大居士。
「鉄舟のいない世の中は、生きるに値しない」と、三神文也が墓前で割腹殉死、内田三郎兵衛が墓前で死ぬなど、殉死する人が出たほか、粟津清秀という人は自刃しかけたところを発見され、門人・鈴木雄蔵は、髪を剃って寛長と号して家に戻らず、3年間も全生庵に留まっています。
墓所には山岡鉄舟とのゆかりで、落語中興の祖・三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう/戒名・三遊亭圓朝無舌居士)の墓があり、圓朝が幽霊画のコレクターだったことから幽霊画50幅を収蔵しています。
毎年7月19日には『鉄舟忌』が行なわれ、8月1日〜8月31日には『谷中圓朝まつり』で圓朝が怪談創作の参考に収集した幽霊画を一般に公開。
全生庵(山岡鉄舟の墓) | |
名称 | 全生庵(山岡鉄舟の墓)/ぜんしょうあん(やまおかてっしゅうのはか) |
所在地 | 東京都台東区谷中5-4-7 |
関連HP | 全生庵公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ千駄木駅から徒歩5分、JR・京成線日暮里駅から徒歩10分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 全生庵 TEL:03-3821-4715 |
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