東京都大田区羽田5丁目にある航空安全や旅行安全の神社としても知られるのが、穴守稲荷神社(あなもりいなりじんじゃ)。もともとは羽田村の新田開拓時に稲荷大神を祀ったことが始まり。旧社地は東京国際空港(羽田空港)の敷地。戦後の空港拡張で、現社地に遷座しています。
京浜急行空港線敷設は、穴守稲荷神社参拝者が多かったため!
江戸時代後期の天明年間(1781年〜1789年)、羽田猟師町の・鈴木弥五右衛門が干潟を干拓して新田(鈴木新田=現在の大田区羽田空港1丁目、2丁目)を開発しますが、波浪などによる被害も多く、農業神そして海上安全の守護として稲荷神を勧請したのが始まり。
その後、襲来した大暴風雨と津波で、多を守る堤防の土手に大穴が開き、海水が侵入するという危機的な状況が生まれますが、鈴木弥五右衛門以下、開拓者が力を合わせて危機を乗り越えたことから、穴を守った稲荷神、穴森稲荷神社と呼ばれるようになったのです。
明治以降は、近郊の行楽地的な性格となり、穴守稲荷と川崎大師の両参りがブームとなるほどに。
また鈴木新田を掘削したところ、井戸からナトリウム冷鉱泉が湧出し、温泉旅館も誕生したのです。
神社の参詣者が増えたことに目をつけた京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)は、明治35年6月28日、人力車車夫たちの反対を押し切って京浜電気鉄道穴守線(現・空港線)を開業。
「川崎大師へ詣でるなら、穴守稲荷へも寄らなければ片参り」とPRして集客を図り、ますます穴守稲荷神社の参詣者は増加していきました。
夏は海水浴(羽田海水浴場)としても人気となり、一大行楽地として土産店が並ぶほどに発展しました。
その繁栄も、第二次世界大戦が転機となり、戦後、占領軍(GHQ)により、羽田飛行場(現・東京国際空港)の拡張計画が持ち上がり、周辺の住民と穴守稲荷神社などの社寺は強制移転となったのです。
昭和21年に現社地に仮遷座し、昭和40年に現在の社殿が完成し、復興を遂げています。
昭和4年10月、京浜電鉄の重役から奉納された一の鳥居は、戦後も長らく羽田空港内にありましたが、羽田空港新B滑走路の供用開始で、平成11年に弁天橋のたもとに移設され現存しています。
穴守稲荷神社 | |
名称 | 穴守稲荷神社/あなもりいなりじんじゃ |
所在地 | 東京都大田区羽田5-2-7 |
関連HP | 穴守稲荷神社公式ホームページ |
電車・バスで | 京浜急行穴守稲荷駅から徒歩5分。東京モノレール天空橋から徒歩5分 |
ドライブで | 首都高速1号線羽田ランプから約800m |
駐車場 | 境内駐車場を利用 |
問い合わせ | 穴守稲荷神社 TEL:03-3741-0809/FAX:03-3741-0713 |
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