東京都千代田区、JR御茶ノ水駅から駿河台下へ下る明大通り周辺には、老舗の楽器店がずらりと並び、お茶の水楽器店街を形成しています。日本のミュージシャンはもちろん、海外からわざわざここを目的にやってくる音楽関係者も数多いほど、世界的にも有名な楽器の街です。
明治大学ハーモニカソサエティーが楽器街誕生の起点!?
とくに楽器店が集中するのが、クロサワ楽器(昭和32年創業)、イシバシ楽器(昭和13年創業)、下倉楽器(昭和12年創業)が軒を並べ、そしてその向かいにギタープラネット、BIGBOSSなどが並ぶ神田駿河台2丁目。
駿河台下の須賀楽器も明治43年創業という老舗で、界隈のパイオニアのひとつ(国産メーカーの中古からデッドストックまで揃い、ファンが多い楽器店)。
明治44年、日本初となるプロのオーケストラ、東京フィルハーモニー交響楽団が結成されるなどしていますが、須賀楽器はその前年の創業。
明治大学マンドリン倶楽部を古賀政男らが創立したのは、大正12年(昭和6年発売の『丘を越えて』ももともとは明治大学マンドリン倶楽部の歌)。
明治大学ハーモニカソサエティーはさらに古く、大正7年。
ハーモニカをメインとしたビックバンド形式の合奏を行なうサークルで、この2つの歴史あるサークルが、マンドリン、ハーモニカ、楽器の街・お茶の水を印象づけたのです。
軽妙な話芸や一人芝居、芸能史研究でも知られた俳優の小沢昭一(昭和4年生まれ、平成24年没)も、少年時代にハーモニカを買いにお茶の水へと出かけています。
そのことを小沢昭一は自身の『ハーモニカブルース』で、「明治はハーモニカバンドで有名」だったから「うまいところに目を付けた」と歌詞に織り込み、明治大学ハーモニカソサエティーの存在が、楽器街としての発展のルーツだとしています。
お茶の水楽器街から西に入るとちのき通りは、かつてマロニエ通りと呼ばれた時代(学生運動の盛んだった時代、界隈は日本のカルチェ・ラタンと呼ばれ、フランス語でちょっと気取ってマロニエ通りと呼んでいました)、「丘」、「マロニエ」、「Iemon」と喫茶店が並び、ガロの歌った『学生街の喫茶店』(昭和47年発売)のモデルといわれていました。
作詞者の山上路夫はモデルとなった店はないと語っています。
お茶の水楽器店街 | |
名称 | お茶の水楽器店街/おちゃのみずがっきてんがい |
所在地 | 東京都千代田区神田駿河台 |
関連HP | 千代田区観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR御茶ノ水駅・東京メトロ御茶ノ水駅からすぐ |
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