東京都台東区上野桜木1丁目、寛永寺境内に造営された5代将軍・徳川綱吉の霊廟の門が、常憲院霊廟勅額門(じょうけんいんれいびょうちょくがくもん)。霊廟は東京大空襲で大部分が焼失していますが、勅額門は延焼を免れ、水盤舎、奥院宝塔、奥院唐門とともに国の重要文化財に指定。
5代将軍・徳川綱吉の霊廟の門が現存
徳川綱吉は、3代将軍・徳川家光の四男として正保3年1月8日(1646年2月23日)、江戸城で生誕。
兄である4代将軍・徳川家綱が跡継ぎなく40歳の若さで世を去ったため、5代将軍に。
大老・酒井忠清を廃して、自らの将軍就任に尽力した堀田正俊(ほったまさとし)を大老に就け、家綱時代の文治政治を推進しています。
治世の前半は、学問の中心として湯島聖堂を建立するなど天和の治と呼ばれる善政を展開しますが、後半は柳沢吉保らを重用して生類憐みの令を出すなど、悪政で知られています。
元禄14年(1701年)には赤穂藩主・浅野内匠頭が江戸城・松之大廊下で吉良義央に斬りつけた赤穂事件も発生しています。
宝永6年1月10日(1709年2月19日)、麻疹(はしか)の重症化で没(享年64)。
戒名は、常憲院殿贈正一位大相国公。
宝永6年(1709年)に寛永寺境内に霊廟が築かれていますが、兄の4代将軍・徳川家綱同様に、東京大空襲で焼け落ち、勅額門などが残るのみとなっています。
切妻造り、銅瓦葺きの四脚門で、国の重要文化財に指定(寛永寺が管理)。
勅額門とは天皇直筆の扁額を有する門のことですが、現在は扁額はありません。
東京にある将軍家の霊廟建築としては、上野寛永寺には、常憲院霊廟勅額門(徳川綱吉)のほか、4代将軍・徳川家綱の厳有院霊廟勅額門が現存。
芝の増上寺に7代将軍・徳川家継の有章院霊廟二天門、芝公園(旧増上寺境内)に2代将軍・徳川秀忠の旧台徳院霊廟惣門が現存しています。
常憲院霊廟勅額門 | |
名称 | 常憲院霊廟勅額門/じょうけんいんれいびょうちょくがくもん |
所在地 | 東京都台東区上野桜木1-16-32 |
電車・バスで | JR・京成電鉄鶯谷駅から徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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