旧台徳院霊廟惣門

旧台徳院霊廟惣門

東京都港区芝公園4丁目、芝公園の一画に現存するのが、旧台徳院霊廟惣門(きゅうたいとくいんれいびょうそうもん)。台徳院とは2代将軍・徳川秀忠のこと。没後の寛永9年(1632年)にその御霊屋(おたまや)として建築された霊廟ですが、惣門のみが現存し、国の重要文化財に指定されています。

戦前には日光東照宮のような壮麗な霊廟がこの地に!

寛永9年(1632年)、3代将軍・徳川家光が、増上寺の南側に造営した壮大な建築群が、台徳院霊廟。
徳川家霊廟のなかで最も壮麗とされる家康の眠る日光東照宮ですが、壮麗な現在の社殿は、寛永13年(1636年)の21年神忌に向けて、家光が行なった寛永の大造替によるもの。
この台徳院霊廟がそのプロトタイプ(試作モデル)にもなっているのです。

本殿・相の間・拝殿・中門・透塀から成る台徳院霊廟は、戦前は国宝でしたが、昭和20年5月の戦災により勅額門、惣門、丁子門、御成門を除いて焼失。
惣門は芝公園となった跡地に保存され、惣門を除く3棟は、所沢のユネスコ村に移築され、狭山山不動寺(さやまさんふどうじ)境内に現存しています。

旧台徳院霊廟惣門
旧台徳院霊廟惣門
名称 旧台徳院霊廟惣門/きゅうたいとくいんれいびょうそうもん
所在地 東京都港区芝公園4-8
関連HP 港区観光協会公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄芝公園駅から徒歩3分
ドライブで 首都高速芝公園ランプから約500m
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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